アルフレッド・ノーベルの名言 Alfred Bernhard Nobel

アルフレッド・ノーベル(Alfred Bernhard Nobel)Wikipediaより

人生は気高いもの。
自然から授かったこの宝石を人は磨く。
輝く光がその労に報いてくれるまで。

アルフレッド・ノーベル Alfred Bernhard Nobel

スウェーデンの化学者 発明家 実業家 ノーベル賞創設者 1833〜1896
Wikipedia(日本語)/ Wikipedia(英語)


限られた時間で授かった人生という宝石は、どれほど磨くかはそれぞれの自由に任せられています。

そしてその宝石はどこまでも輝きを増していくもので、これで終わりという限界はありません。

この輝きに限界のない宝石を、自然界の全ての存在は授けられていると、まずは心得ることが大切なことでしょう。

そこに無限の可能性があるのに限界を自ら創ってしまって、人生や様々なことに不平不満を言ってしまうのが人間でしょう。

自然界の他の存在、例えば植物たちから見るととっても不可解に映るような、なんとも不思議な生態を持っているのが人間でしょう。

植物たちは生ある限り、目指すものへのチャレンジをやめることはありません。
たぶん自然界がただただ可能性だけがある世界であることを心得ているからでしょうね。

それまで大きく育った子が、なんらかの影響で、例え根元から全ての地上部の築いてきたものを失ったとしても、根が残り生きてさえいれば、平気ですぐにまたチャレンジを始めます。

何度全てを失っても、生ある限りチャレンジをやめることはありません。

人間も本来は思考や感情に囚われずに、自然界の本質をしっかり捉えている思感に行動を委ねていけばいいのでしょうが、自然がわからなくなっていることと、思考に頼り過ぎる傾向から、限られた短い命を削っている時間を非常にもったいない使い方をしてしまっています。

思考がどういう性質のもので、思考の産物である感情が本来何に使われるべきものなのかなど、自然界で充実した人生を過ごせるために大切な、自然界の本質こそ真っ先に、そして常に学んでいくべきことでしょう。

今の人間界では自然から離れてしまっている影響もあって、本質が見えなくなっているケースがあまりにも多いですね。

本質がわからなければ、真っ暗闇を何の灯りもなく彷徨うようなものですから、どこへ向かうのかも、何がどうなっていくのかも皆目見当がつかないままに、貴重な時間だけが過ぎ去って行く人生になっている人は多いでしょう。

夢を目指す灯火と考えることもあるのですが、現代人の夢の場合、幻想を夢と勘違いして目指していることが本当に多いですから、その勘違いしている夢を目指しチャレンジするほどに不自然なストレスを溜め込む結果になっています。

そして夢などを目指すことは、実現もしなければ、心身の異常まできたすので、目指すこと、イメージすることさえできなくなっていることも多いですね。

自然界で本来目指すべきものがあります。

それは植物たちの生き様を見ていると、明確に教えられ学ぶことができますが、植物たちも決して行き当たりばったりで、ただ生きているわけではありません。

明確に目指すものを持っているからこそ、美しく、しなやかに、雄々しく育っていけています。

その植物たちが目指しているものこそが、自然界で本来目指すべきもの、人間界で言うところの夢や理想、目的と言ったものですね。

全ては自然を知ることから始まります。

そして自然を知り、自然に沿って人生を過ごしていけば、間違いなく不自然なストレスとは無縁の最高に充実した人生になっていきます。

それはいつからでも始められることですし、どんなに短い時間でも、自然界の本質さえ知っていれば深く深く自然界の人生を堪能することができます。

無限の可能性だけがあるあなたの人生。
限りある時間で最高に愉しんでください。

これまでに紹介したアルフレッド・ノーベルさんの名言です。

(浜本 哲治)

ノーベルが晩年に使用していたスウェーデンのマナー・ハウス。ボフォース社が所有 Wikipediaより
ノーベルが晩年に使用していたスウェーデンのマナー・ハウス。ボフォース社が所有 Wikipediaより

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