ウィリアム・ヘイズリットの名言 William Hazlitt

ウィリアム・ヘイズリット(William Hazlitt)Wikipediaより

偏見は無知の子供である。

ウィリアム・ヘイズリット William Hazlitt

イギリスの著作家 批評家 随想作家 1778〜1830
Wikipedia(日本語)/ Wikipedia(英語)


自然界には際限なく無限の可能性がありますから、ひとりの人間に捉えられる側面には限りがあります。

たったひとつの現象、モノのことでさえ、全てを知り尽くすことはできません。

自分のことでさえ全てを知り得ているわけではありませんから、当然のことと言えますね。

その一部しか知り得ていないものを決めつけてしまうことは、それ以上知ろうとしないことですから、永遠に知ることができずに終わってしまう可能性が出てきます。

またほんの僅かな側面だけで全てを知った気になってしまうと、多くの場合早々に行き詰まってしまうことにもなります。

そして自然界のダイナミズムである、無限にある可能性を大いに活用することも、愉しむこともできなくなってしまいます。

人間が自然界のことで知り得ていることは、わずか数パーセントだと言われています。

そのことはミクロにもマクロにも、人間の科学で解明されていることを見てみても明らかなことです。

知らないことだらけなのが人間だということを認識、自覚していくことが、自然界の醍醐味を味わっていくために、まず何よりも大切なことでしょう。

携わっていること、追求していることの表面的な知識や技能を覚えただけで満足していては、自然界の素晴らしさを味わうことはできません。

たとえ何十年やっていても、表面的なことの習得だけに終始していては自然界の本質は見えてきません。

まずは少なくとも、自分にしか到達できない領域まで追求を進めていくことです。

その過程で自然界の本質的なことも学ぶことになるでしょうし、人間は知らないことだらけだということも、また自然界にも、人間にも無限の可能性があることも体感、実感していくことになります。

また自然界の無限は、人間一人ひとりの中にも内在していますから自分自身を探求していくことが大切です。

無限にある可能性を感じていけば、わずかな一面だけで決めつけてしまう偏見を持つことが、いかにもったいないことだかがわかります。

知らないことの方が多いのですから、たとえそれがどんなことであっても排除するのではなく、そっと観察して少しでも未知のことを知るために学んだ方がいいでしょう。

人生の全ての時間を賭けても、どこまでも深く存在する自然界の可能性は全てを追求、探求できないことを感じ、どこまで探求が進められるかにチャレンジしていってください。

(浜本 哲治)

ヘイズリット・筆『ラムの肖像』Wikipediaより
ヘイズリット・筆『ラムの肖像』Wikipediaより

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