飯田 亮の名言 Makoto Iida

飯田 亮(Makoto Iida)Wikipediaより

見えざる手というものを、絶対的に信用しなけりゃダメです。
さもなけりゃ成功できるわけがない。

飯田 亮 Makoto Iida

セコム創業者 1933~2023
Wikipedia(日本語)/ Wikipedia(ドイツ語)


奇跡とは想像を超えて起こる出来事のことを指しますが、自然界では奇跡は起こって当たり前と考えた方がいいでしょう。

植物たちが育つには、目に見えない微生物なども含め無数の力に支えられて育てられていますから、その天文学的な可能性を予測することは不可能なことです。

人間がその科学などで解明できていることは、宇宙の中、地球上、そしてほんの一握りの土の中のことでさえ、ほんの僅かなことでしかありません。

数パーセントにも満たないものしか私たち人間は知り得ていないでしょう。

そんな自然界の中ですから、何がどう作用してとんでもないことが起こっても何も不思議なことではありません。

あなたが発した言動を伝えた人の反応は、ある程度予測することは出来るかもしれませんが、その伝えた人がさらに誰かに伝える、どう伝えるか、そこで何が起こるか、これだけでももう予測不能ですね。

あなたが発したものは、実際にはもっと多岐に渡って人の心を経由しますし、もちろん環境や気候などの自然が、そのタイミングや人の心に与えている影響などだけを考えてみても、人間の思考で及びのつくものではありません。

逆にやることに対してすべての結果を予測可能であることは、そこに大きな進化や飛躍はないと言うことです。

もちろん何もしなければ何も起こらないのは当然ですし、結果の予測可能な行動では奇跡を期待は出来ません。

不思議なことや奇跡的なことは実は日常的に起こっているのですが、科学至上主義などに慣らされている人間界では、たまたま運が良かっただけ。などと軽視されがちです。

奇跡も自然の中では起こるべくして起こっていることですから、それこそをしっかり検証してみることで更なる可能性が見えてくるでしょう。

奇跡を起こすためにやることは、得るために与えるのではなく、惜しみなく与え続けることでしょう。

あなたが目指している夢は、今のあなたが出来ること、得られることを予測できることの範疇を超えているでしょう。

奇跡を数多く起こしていかないとたぶん実現しないでしょうね。

見えざる手、奇跡は必然で起こるもので、起こせるものです。

奇跡が起こることは信じるに値するものです。

どうぞ奇跡を起こせるチャレンジ、言動をあなたの天賦の才、天才で発していってください。

愛は見返りを求めず、惜しみなくが、一粒万倍の自然の摂理です。

そのまま奇跡を起こす法則ですね。

飯田 亮さんのこんな名言もありました。

企業の利潤、商売の利益というものは、社会に対する貢献度によって決まるものであり、その貢献の度合いによって、社会は企業に利潤をもたらす。
社会に貢献しない企業は、だから利潤は得られないし、得たとしても、又それは何日も続かない。
そしてその企業は社会から消え去ることになる。

飯田 亮の名言

現状に甘んじていたら進歩が止まるどころか退歩・衰亡しかねない。

飯田 亮の名言

自分たちが最高だと思ってやっていることを、真っ向から否定しないと、新しいものは生まれてこない。

飯田 亮の名言

仕事というのは、やめなければ本物になる。
途中でやめるから失敗になるんです。
続ければ、必ずものになる。

飯田 亮の名言

漁師の精神を学ばなければいけない。
漁師は釣れなければ、狙う魚を変え、道具を変え、場所を変える。
いつも同じところにじっとしていて、「魚が無いね」と嘆いているだけではダメだ。

飯田 亮の名言

遊びが足りないから仕事ができないんだ。
もっと遊べよ。遊べば、もっと仕事ができるようになる。

飯田 亮の名言

いつまでも昔からやってきた手法だとかやり方、
あるいは商品にこだわっていたら、新しいものは生まれません。
それはもう、否定から始めないとならない。

飯田 亮の名言

泥水をたっぷりと飲み、腹をこわし、耐久力をつけないと人は強くなりません。
プロフェッショナルになるためには、困難にまともに立ち向かっていくしかないのです。

飯田 亮の名言

(浜本 哲治)

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