ジョルジョ・ヴァザーリの名言 Giorgio Vasari

ジョルジョ・ヴァザーリ(Giorgio Vasari)Wikipediaより

多くの人は、くつろいで楽しいことに囲まれながら、名声を手に入れられるかもしれないという、都合のいい誤解をしている。
眠っていては、何も手に入れられないのだ。
目覚め、観察し、こつこつと努力をして初めて、進歩し、名声を得られるのである。

ジョルジョ・ヴァザーリ Giorgio Vasari

イタリアのマニエリスム期の画家 建築家 1511〜1574
Wikipedia(日本語)/ Wikipedia(英語)


極めようとしている道を、どれだけ歩み続けられるか。

どこまで遠くに辿り着けるか、どこまで高く昇れるかは、目的地に向かって歩み続けた時間で決まります。

これはどんなに人間界が便利になっても、その成長、進化にこれに勝る方法はないでしょう。

表面的に便利になったように感じられる、現代社会に生きる現代人の陥りやすい傾向が、楽をしようとし過ぎることでしょう。

一歩一歩の歩みを、チャレンジを愉しむことは何よりも大切なことですが。

愉しむのと楽をするのとでは根本的に意味が違います。

楽は不自由極まりない肉体を離れ、自然界での生を卒業していけばきっと楽になるでしょう。

心配しなくてもその時は、誰にでもいつか必ず訪れます。

自然界で生を与えられて、役割、使命を果たそうとすれば、俗に言われる楽をすることは考えないことですね。

自然界ではそれを追求していくと、非常に不自然に取り囲まれることになり、大きなストレスとダメージを受けることになります。

あなたの素晴らしい才能、能力には、無理ではなくチャレンジをすること、楽ではなく愉しむことを授けてください。

一歩一歩重ねていくことを自然界では厭わないことですね。
そこに歓びを見つけることです。

そのチャレンジには、あなたの才能、能力が必ず最高の形で応えてくれますね。

ジョルジョ・ヴァザーリさんは、一方でこんなこともおっしゃっています。

修道院長はレオナルドに休まずに絵筆を持ち続けて仕事を完成させるように頼んだ。
彼にしてみれば、レオナルドが時には半日も思索にふけったりするのが不思議に思えたのだ。
彼は、レオナルドに庭を耕す労働者のように、絵筆を離さず仕事をしてもらいたかったに違いない。

ジョルジョ・ヴァザーリの名言


この言葉はダ・ヴィンチさんに最後の晩餐を依頼したサンタマリア・デル・グラーツィエの修道院長の、最後の晩餐制作中のダ・ヴィンチが急に休みを取った時のエピソードとして語った言葉のようです。

一歩一歩歩みを重ねていくことが、目的地に辿り着ける最高の方法であることは間違いのないことですが。

単に身体を動かせばいいというものでもありませんね。
この傾向に陥っている人も多いものですね。

質の高い休息や睡眠が、上質のパフォーマンスのために必要不可欠なように。

また思考領域だけでなく、潜在領域を活用した方が刻む一歩に大きな違いが出てくるように。

単にアクションを起こしている時だけが、夢に向かっている時ではありません。

日本人は特に、本来の夢へのチャレンジのパフォーマンスではなく、チャレンジしているように見せかける類いのパフォーマンスをすることに、教育環境の影響もあり長けていますが。

そういうパフォーマンスは、夢への道のりを遠くしてしまうだけですね。

そういう時間があれば、本質的なチャレンジのパフォーマンスを磨いていった方が遥かに効果的でしょう。

現代人が目覚めさせたい大切な能力は、膨大に眠っている潜在領域の情報や能力です。

ぜひリラックスして思考を手放すことでできる、閃きを自在に引き出す方法を身に付けて、そこから潜在領域にどんどん踏み込んでいってください。

そこには日々の一歩に、大きな違いを生み出すとんでもない情報や能力が眠っていますよ。

(浜本 哲治)

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