ヤーコプ・ブルクハルトの名言 Carl Jacob Christoph Burckhardt
木を知れば、忍耐の意味を理解できる。
草を知れば、粘り強くあることの意味を味得できる。
ヤーコプ・ブルクハルト Carl Jacob Christoph Burckhardt
スイスの歴史家 文化史家 1818〜1897
Wikipedia(日本語)/ Wikipedia(英語)
植物たちに学べば、自然界のことはどこまでも深く教えてくれます。
ただその本質を理解していくには、様々な能力や技術などを体得するのと同じように充分に触れて観察して、感じることが必要です。
例えば、忍耐、粘り強くという言葉のイメージからすると、艱難辛苦のイメージが強いですが、自然界を深く感じていくと、そこは愛だけに溢れている世界ですし、人間のイメージする以上に超人的な忍耐力、粘り強さを発揮している植物たちから、悲壮感のようなものは微塵も感じられません。
これは、植物たちには人間のような感情などがないからだと考える向きもあるでしょうが、植物たちと交流できるほどに触れ合っていけば、植物たちにも愛犬や愛猫たちと同じように、感情もあれば、思考もあることが明らかに感じられます。
ただその感情や思考は、人間や動物たちのものより遥かに高度なものであることも間違いないでしょう。
人間は、自分たちが自然界でもっとも進化した生き物だと思い込んでいる節がありますが、そもそもここに、人間界が遅々として進化が進んでいかない原因があるでしょう。
決して人間が自然界で進化した生き物ではなく、むしろもっとも進化する予知の多い生き物、自然界の新参者の部類に入るでしょうから、進化がもっとも遅れている生命体であると考えた方がいいでしょう。
忍耐力、粘り強さをとってみても、植物たちからは泣き言も聴こえてこなければ、感じることもありませんし、誰かを非難したり攻撃することもなく、驚異的な強靭さを魅せてくれます。
この域に到達している人間がどれほどいるかと考えてみるといいでしょう。
それが植物たちの中では、ごく当たり前の普通のレベルです。
思考や感情、自然界で生きていく基本的な能力のレベルなど、どれをとっても人間より遥かに進化していることを感じられます。
人間は、機械的な物などを創り出していくことが進化することのように考えている、感じる節があるようですが、それはたぶん植物たちから見れば、まだ幼稚なレベルなのでしょう。
例えば人間界の様々な分野、領域でもとんちんかんなことをやっていると、初心者、稚拙なレベルと判断してしまうのと同じように、少なくとも私が専門の分野である健康の分野では、まるでとんちんかんなことをやっていますので、とてもとても進化しているとは言えないですね。
どんなに科学、技術が進歩しても、それが本質に向けて使われなければ進化に向かって進んでいかないでしょう。
どんな分野でも、例えばアスリートの分野でも、道具が進化していることに得意げになっていても、本質的なパフォーマンスが向上しなければ意味のないことであるのは、誰にでもわかることですが。
今の人間界はそれに近い状況であることは否めませんね。
自然界全体から見れば、失笑を買っている状態と言えるでしょう。
どうぞあなたの追求している分野を、あなたの素晴らしい才能で本質に向けて追求して、ぜひその方向に才能をフル活用してください。
そしてどの方向に向けていくことが本質なのかや、本当の忍耐力、粘り強さがどういうものなのかは植物たちに大いに学んでください。
自然を知ること、植物たちから学ぶことが、間違いなく人間の才能、能力のレベルをことごとく高めてくれます。
これも人間界のよくある光景ですが、稚拙な者同士が寄り集まって何かをやろうとしても、あまりハイレベルなことはできないのと同様に、人間界の中だけに囚われていては、その範疇を出ないことになります。
もっともっと自然界の先輩たちに人間は教えを乞うた方がいいです。
それでこそあなたのポテンシャルのある才能、能力は本来の輝きを発揮していくものでしょう。
これも多く見かけ、非常にもったいないことなのですが、人間界の稚拙な世界で能力を発揮できないことを、能力がないと勘違いしているケースです。
才能、能力は本質に向けられれば、必ずその本領を発揮してくれますよ。
(浜本 哲治)
ブルクハルトの肖像を用いたスイス・フラン紙幣 Wikipediaより