藤原 定家の名言 Fujiwara no Sadaie
和歌に師匠なし。
只(ただ)旧歌を以て師となす。
心を古風に染め、詞を先達に習はば、誰人(たれびと)かこれを詠ぜざらんや。
藤原 定家 Fujiwara no Sadaie
鎌倉時代初期の公家 歌人 小倉百人一首の撰者 1162〜1241
Wikipedia(日本語)/ Wikipedia(英語)
和歌には人間としての師匠はいない。
古い歌自体を師匠だと考えるのだ。
心を昔風に染め上げて、言葉づかいは古典を真似たら、いったい誰が歌を詠めないことがあろうか。
というような意味でしょうか。
藤原定家さんは、お父様の俊成(しゅんぜい)さんから
歌は広く見遠く聞く道にあらず。
心より出でて自らさとるものなり。
と教えられたようです。
便利な世の中になり、また色んな情報などが氾濫している現代では特に、本質とはかけ離れたノウハウや表面的な技術などを学んでしまうことが多くなっています。
自然界の自然などの本質とはかけ離れているに、人間界で数十年、数百年くらい常識だったからとそれを妄信するようなことから始まって、人間の可能性を狭めてしまう能力を存分に発揮できない状況は、人間界では進化以上に猛烈な勢いでその方向に進んでいるでしょう。
様々な縛りばかりが多くなっているのもその傾向ですね。
本来どんな分野であっても、そこで発揮される才能、能力は一人ひとり違いますから、型にはめればはめるほど、才能、能力の可能性は狭められていると考えて間違いありません。
表面的なノウハウやテクニックを学んでも、そのままではあまり意味はなく、本質に沿って独自のものに昇華させてこそ、落とし込めてこそ価値があるものになります。
それよりも本質こそ、その分野、能力の自然とは何か?をこそ、常々学んだ方が遥かに才能、能力の進化も、夢の実現も確実で早く成就していくでしょう。
また未来を担う子どもたちにも、自然を、自然に沿うことを最重要な伝授として伝えていくことです。
才能、能力を遺憾なく発揮させるためにも、それが何よりも大切なことですね。
本来学ぶことは自ら気づいていくことですが、今は教えられることを、それも表面的なことを教えられることを待っている傾向も強いですね。
また、本質を学ぶこと伝えられることを非常に軽んじています。
シンプルな自然の摂理の中にこそ、全ての源はあります。
アスリートなどでもそうなのですが、表面的なテクニックに走ると必ず行き詰まりに遭遇しますが、そういう時は原点に、本質に戻ることで全ては解決していきます。
常に戻ることのできる本質を知っていることは、全ての問題を解決してしまう、自然界の基本を身につけていることは非常に強いです。
様々な分野で事を成し遂げた人たちの、名言の中に込められている真髄、本質も、どんな分野、能力であっても、いつの時代にあっても見事に同じです。
数千年前から同じことが繰り返し言われてきています。
それが自然界の本質、自然界の基本ルールに沿うことです。
ぜひあなたの素晴らしい才能には、人間界の現代社会では特に、まだ学んでいないケースの多い自然界の基本をマスターさせてあげてください。
それだけで才能、能力は驚くほどに進化していきます。
あらゆる分野の能力に基本が大切だということは常々言われていることでしょうが、その基本は人間界のローカルルールではなく自然界の基本ルールです。
ここを勘違いしていて、本来の基本に沿えずに能力を発揮できず、基本に沿うことを疎かにしてしまう要因にもなっています。
自然界の基本に沿っていれば人間の能力はどんどん進化して、チャレンジすれば能力は次々と溢れ出てきます。
自然に沿って、あなたの才能の可能性を無限大に広げていってください。
(浜本 哲治)
『近代秀歌』定家自筆本 Wikipediaより