角倉 素庵の名言 Soan Suminokura
信義はイルカにも通じ、たくらみはカモメも察する。
天は嘘偽りを許さない。
角倉 素庵 Soan Suminokura
江戸時代初期の土木事業家 儒学者 書家 貿易商 1571〜1632
動物たち、そして植物たちには、
表面的な誤魔化しは、あまり通用しませんね。
もっと、根源のエネルギーを察知していますから、
表面をいくら取り繕っても、
それは、バレてしまいます。
人間も本来、そういう能力が備わっているのですが、
思考を主に使うことに慣れてしまって、
現代人は特に、察知能力は低下しているでしょう。
今のように、便利になっていても、
必ずしも、根源的な、個々の事の成就力などは、
さほど高まっているとは言えないどころか、
逆に低下していると言った方がいいかもしれませんね。
その大きな要因は、
根源的な能力の低下があるでしょう。
表面的な技術的な能力が高まったとしても、
根源の能力が低下していたのでは、
全体の能力が向上することはありません。
そして、自然界のすべての現象は、
エネルギーの共鳴現象で起こりますから、
表面的にどんなに誤魔化しても、
また、一時的に上手く誤魔化せたとしても、
根底にあるエネルギーは、隠しようがありませんから、
必ず、そのエネルギーに共鳴した結果が現れてきます。
自然界は、自然界のルールの中で、
そのルールに沿った結果が起こります。
いかに自分自身や他の誰かを、
誤魔化そうかとするよりは、
根源のエネルギーを磨き、
そのまま、ありのままの自分を磨き、
高めていくことに徹した方が、
特に長い目で見れば、
雲泥の差と言えるほどの違いが、
結果に現れてきますね。
あなたの素晴らしい才能、能力は、
根源のエネルギーをもっともっと高めていけば、
これまでとは比較にならないほどの飛躍ができます。
ありのままのあなたを、そのままの才能、能力を、
決して、脚色することなく、
磨きこんでいってください。
角倉素庵さんの、こんな言葉もありました。
貿易とは人と己に利益をもたらすものである。
人に損失を与えて、己に利益をもたらすものではない。
ともに利益を受けるならば、たとえその利は小さくとも、得るものはかえって大きい。
利益をともにしなければ、たとえ利が大きくとも、得るものはかえって小さい。
ここでいう利益とは道義のことである。
負欲な商人は五を求め、清廉な商人は三を求めるという。このことをよく考えよ。
異国と我が国は風俗や言葉の違いはあるけれども、天より授かった本性には変わりはない。
それを忘れて異なるところを不思議がったり、欺いたり潮ったりはいささかもしてはならない。
たとえ向こうがこの道理を知らなくとも、我々は知らずにいてはならない。
もし他国で優れた人物に出会ったら、父か師のように敬って、
その国のしきたりを学び習慣に従うようにせよ。
(浜本哲治)

角倉 素庵の名言 Soan Suminokura
信義はイルカにも通じ、たくらみはカモメも察する。
天は嘘偽りを許さない。
角倉 素庵 Soan Suminokura
江戸時代初期の土木事業家 儒学者 書家 貿易商 1571〜1632
動物たち、そして植物たちには、表面的な誤魔化しはあまり通用しませんね。
もっと根源のエネルギーを察知していますから、表面をいくら取り繕っても、それはバレてしまいます。
人間も本来そういう能力が備わっているのですが、思考を主に使うことに慣れてしまって、現代人は特に察知能力は低下しているでしょう。
今のように便利になっていても、必ずしも根源的な個々の事の成就力などは、さほど高まっているとは言えないどころか、逆に低下していると言った方がいいかもしれませんね。
その大きな要因は、根源的な能力の低下があるでしょう。
表面的な技術的な能力が高まったとしても、根源の能力が低下していたのでは全体の能力が向上することはありません。
そして自然界のすべての現象はエネルギーの共鳴現象で起こりますから、表面的にどんなに誤魔化しても、また一時的に上手く誤魔化せたとしても、根底にあるエネルギーは隠しようがありませんから、必ずそのエネルギーに共鳴した結果が現れてきます。
自然界は自然界のルールの中で、そのルールに沿った結果が起こります。
いかに自分自身や他の誰かを誤魔化そうかとするよりは、根源のエネルギーを磨き、そのままありのままの自分を磨き、高めていくことに徹した方が、特に長い目で見れば雲泥の差と言えるほどの違いが結果に現れてきますね。
あなたの素晴らしい才能、能力は根源のエネルギーをもっともっと高めていけば、これまでとは比較にならないほどの飛躍ができます。
ありのままのあなたを、そのままの才能、能力を決して脚色することなく磨きこんでいってください。
角倉素庵さんの、こんな言葉もありました。
貿易とは人と己に利益をもたらすものである。
人に損失を与えて、己に利益をもたらすものではない。
ともに利益を受けるならば、たとえその利は小さくとも、得るものはかえって大きい。
利益をともにしなければ、たとえ利が大きくとも、得るものはかえって小さい。
ここでいう利益とは道義のことである。
負欲な商人は五を求め、清廉な商人は三を求めるという。このことをよく考えよ。
異国と我が国は風俗や言葉の違いはあるけれども、天より授かった本性には変わりはない。
それを忘れて異なるところを不思議がったり、欺いたり潮ったりはいささかもしてはならない。
たとえ向こうがこの道理を知らなくとも、我々は知らずにいてはならない。
もし他国で優れた人物に出会ったら、父か師のように敬って、その国のしきたりを学び習慣に従うようにせよ。
(浜本哲治)
