小澤 征爾の名言 Seiji Ozawa
やはりアーティストの世界でも同じですね。
アスリートでもやはり最後にものを言うのはその人の心です。
アスリートは技術が高ければ、それでいいのでは?と思われがちですが、とんでもありません。
まさに心、人間力の勝負の世界です。
どんな分野、業界でも同じでしょう。
プロとしてやっている場合、自分のためだけにやっているうちは本物のプロとは言えないでしょう。
もちろんプロとしてやっているわけですから、収入を得たり対価を得たりすることは大切なことですが、そこに心がフォーカスしているうちは本物のプロ、超一流になることはありません。
プロが一流の技術を磨いていくことは当然のことですが、ある程度のレベルになってくると、その技術に固執したり、そのテクニックに驕ったりする時が来ます。
この段階が、一流で終わるか、そこを突き抜けて超一流になるかの目に見えない境界線ですね。
技術もそう簡単に極めることなんて出来ませんから、常にひたすら磨きをかけて研ぎ澄ましていくことは一流を突き抜けるために当然のことのように必要なことです。
これも心の問題でもあります。
そして技術よりも心、感性をいかに研ぎ澄ましていくか、技術レベルは極められないとは言っても、トッププロになれば大差はありません。
その中でどうやってさらなる高みに昇っていくか。
やはりその答えも自然の中にありますね。
芸術家や美を競うアスリートも、詩人、科学者までもが極めていくと、自然の美や存在にいかに近づけていくかだと言います。
自然の木々は何があっても自然体でいます。
何が起ころうといつも愛情溢れています。
驕ることも、自分を極めることを止めることもありません。
この自然を感じる、自然に近づけていこうとする心、感性こそが突き抜けるための秘訣ですね。
もっともっと自然に学んでいくべきです。
自然から学ぼうとしない心が人間の驕りの一端でしょう。
心の師となり、友となる、あなたの年齢を超える木と常に会話してみてください。
本当に色んなことを教えてくれますよ。
こういう木はそばで見つけておいた方がいいですね。
この小澤さんの言葉は、もちろん下手でいいと言っているのではありません。
同じ技術レベル、もしくは多少レベルが劣ってたとしても、心や感性が優れている方が遥かに可能性を感じられるということですね。
同じ技術レベルであっても、心の違いが人の心に届きます。
そして普段の言葉や仕草、オーラや波動に心はどんなに隠そうとしても反映するものです。
見る人は技術だけを見ているのではありません。
あなたの心を技術を通して見ているだけです。
技術以外のことからも心を感じているものです。
技術を磨くことと心を磨くこと、同時進行することで相乗効果も高いものですね。
どうぞ自然に触れて心も磨いていってください。
そして技術を超えた領域で、あなたの天才で誰かの心に感動を届けてください。
小澤 征爾さんのこんな名言もありました。
僕は「東洋人と西洋人は違う」ってはっきり言いました。
だけど、どっかではつながっているんだと思う。
世界共通、人間の感情は。
小澤 征爾の名言
日本製の地球儀を眺めると、日本が赤く塗られていますでしょ。
世界全体から見ると、日本語圏はあれっぽっちです。
そこだけの価値観で一生を過ごすのは、もったいないですよ。
小澤 征爾の名言
テレビで見たり、インターネットで調べたりで世界を知った気持ちになってしまう。
確かに私たちが若い頃よりもはるかに海の向こうの情報は入ります。
でもそれは他の誰かの体験であって、自分自身の経験ではありません。
小澤 征爾の名言
建築はもちろんですけれど、音楽も生活と結びついています。
だから(外国で)暮らさないと、本当の音はわからない。
小澤 征爾の名言
言葉ができないと不自由ばかりですけれど、一つよかったのは、海外で指揮する時に私は喋らないんです。喋れないから。
言葉が堪能だと、説明しすぎてしまうでしょ。
説明の多い指揮者はよくないんですよ。
小澤 征爾の名言
音をただ並べるだけでは音楽にならないわけで、どうやって作曲家が紙に書いたものを音楽に戻すかと、ここのことですよね。
小澤 征爾の名言
予測がつかないけれども、ただぼくが願っていることは、いい音楽を精いっぱい作りたいということだけだ。
小澤 征爾の名言
その場でふりかかってきたことを、精いっぱいやって、自分にできるかぎりのいい音楽をすることによって、いろんなことがなんとか運んできた。
小澤 征爾の名言
これまでに紹介した小澤 征爾さんの名言です。
(浜本 哲治)