開高 健の名言 Takeshi Kaikou

開高 健(Takeshi Kaikou)Wikipediaより

無駄をおそれてはいけないし無駄を軽蔑してはいけない。
何が無駄で何が無駄でないかはわからないんだ。

開高 健 Takeshi Kaikou

作家 1930~1989
Wikipedia(日本語)/ Wikipedia(英語)


自然界でやることには一切の無駄はないと理解した方がいいでしょう。
そもそも自然界で遭遇するものは全て最高のものですからね。

ただ思感、感性を研ぎ澄まして、遭遇する現象の意図することを感じ取ることは重要です。
遭遇した現象でどうアクションを起こしてもいいのですが、未来への道標である遭遇する現象を、例えば道路標識で右に進めば目指す方向だと出ているのに、左に進んでしまえば右に進むより到着に時間がかかってしまいます。

ただ仮に反対に進んだとしても、またその先で道標に遭遇しますから、それを感じ取ることができればいずれ目的地には辿り着けます。

このことからも遭遇する全ては意味のあることで、一見無駄なように見えても全ては価値のあることだと理解できるでしょう。

どうぞ日々遭遇するたくさんの現象の真意を感じ取る感性を磨いて、できるだけ早く夢である目的地に到達できるトレーニングを日々重ねてください。
トレーニングが進んでいけば、どんどん夢の実現が加速していきますよ。

開高 健さんのこんな名言もありました。

ハンティングの体験は深いものだったね。
一発のライフルの銃声が引き起こしたものはいっぱいありまして、私はいまも戸惑っているようなところがある。

開高 健の名言

海を愛するのは賢者であり、山を愛するのは聖者である。

開高 健の名言

釣師にはいろいろと厄介な気質があり、いい道具なら一も二もなくとびつくという面がある。
また道具のよしあしを見わけることにかけては、日ごろどんなケチンボでもコウと狙いをつけた釣道具にはあきれるほどの大金を投じて悔いないから、デパートにさまよいこんだ女よりもまだ目が鋭いのである。

開高 健の名言

文学はファッション・ショウじゃない。
古いも新しいもない。進歩も退歩もない。わかりきったことじゃないか。

開高 健の名言

日本人もまたたいした精力と規模で自然の破壊にいそしんでいる。
日本の田には小川の小ブナも夕焼けの赤トンボもいず、草むらの恋人たちは耳もとに蜜バチの唸りを聞けないでいる。
日本の田は稲こそ生えているが、もう自然ではなくて、化学粉末ですみずみまで殺菌された屋根のない工場となってしまった。

開高 健の名言


これまでに紹介した開高 健さんの名言です。

(浜本 哲治)

開高健記念館(茅ヶ崎市)Wikipediaより
開高健記念館(茅ヶ崎市)Wikipediaより

LINEで送る