ジョージ・イーストマンの名言 George Eastman

ジョージ・イーストマン(George Eastman)Wikipediaより

カメラを鉛筆なみの便利な道具に生まれ変わらせたい。

ジョージ・イーストマン George Eastman

米国の実業家 発明家 コダックの創業者 1854〜1932
Wikipedia(日本語)/ Wikipedia(英語)


誰かの幸せを実現させる、夢の実現のために届ける愛の追求のひとつの方向でしょう。

届ける愛は、究極と思われる本質に向けて洗練していくことで、どこまでも新たな創造が生まれてきます。

これを何かを加えることや、技術的なことに思考が向いていては、新たな創造と考えられることはなかなか生まれてこないでしょう。

創造は先人がし尽くしたから、新たな創造の余地はない。と考えている人もいるようですが、これは発想が本質に向けられていないからでしょう。

自然界で人間が解明できていることは、ごくごく僅かなものであって、まだまだ無限に発見されるのを待っている、創造になりうる組み合わせがあります。

私の専門分野の人間の身体のことでさえ、脳のことはほとんどわかっていませんし、心身の健康に関しては、本質から外れた方向に追求が永々と進められています。

そして現代人は最新鋭の機器が揃った状況でしか、新たな創造などは生まれないと考えているのか、日常の中に転がっている創造の種子を見つけること、感じることに疎くなっているようです。

複雑化、人工化、機械化されている状況に、惑わされていると言えるかもしれませんね。

もちろん創造には検証が必要ですし、再現性もなくてはなりませんので、そういう場面で機器などは大いに役立つでしょうが。

根本である創造の発見は、研究室の中には少なく全て日常にあります。

今のように機器がない頃の先人たちが、現代に比べて多くの創造ができていることを、限りある創造の種子を先に発見したのだという発想に立つことは、人間界の進化にとって由々しき状況です。

創造の種子は無限にあるのに、それを感じる感性が失われていることにもっと気づくべきでしょうね。

機器などに現代人は頼り過ぎて、本質を追究する目も、小さな変化を感じ取る感性も養うことができていないと言えるでしょう。

逆に言えば、本来の創造、創造の種子の発見は誰にでもできることです。

機器などが創造の種子を発見できることが稀なように、知識のある専門家しか創造の種子を見出せないものではありません。

知識はあっても、自然や本質を追究することがなければ、新たな創造の種子を見つけだすことは難しいでしょう。

自然界での創造は自然の中にしかありません。
誰かの幸せを実現するための創造は、もちろん日常の中にしかありませんね。

先人が創造して常識のようになっていることでも、本質への追求から大きく外れていることはいくらでもあります。

また本質への追求をやめてしまうと、残っていけなくなるのも自然界の淘汰の原則ですね。

どうぞ自然や本質を見極めて、まだまだ無限にある創造の種子を、日常の中から発見していってください。

あなたの才能、能力の真骨頂は、あなたが追求する愛の分野で新たな創造を発見していくことでしょう。

それが必ずできる才能、能力は必ず授けられています。

(浜本 哲治)

ジョージ・イーストマン・ハウス Wikipediaより
ジョージ・イーストマン・ハウス Wikipediaより

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