聖徳太子の名言 Shotokutaishi

聖徳太子(Shotokutaishi)Wikipediaより

和を以て貴しとなす

聖徳太子 Shotokutaishi

飛鳥時代の皇族 政治家 574〜622
Wikipedia(日本語)/ Wikipedia(英語)


人々の和や、自分の中のバランスは大切なことですが、ややもするととにかく角を立てずに馴れ合いになることを和を重んじることと解釈されがちです。

もちろん感情に振り回されて、感情で和を乱すような振る舞いは早々に卒業するべきですが、本来の和やバランスは、高みを目指してこそ絶妙なものが構築されていくものでしょう。

聖徳太子さんの十七条の憲法の「和を以て貴しとなす」の第一条にも、

一にいう。和をなによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを根本としなさい。
人はグループをつくりたがり、悟りきった人格者は少ない。
それだから、君主や父親のいうことにしたがわなかったり、近隣の人たちともうまくいかない。
しかし上の者も下の者も協調・親睦の気持ちをもって論議するなら、おのずからものごとの道理にかない、どんなことも成就するものだ。


とありますし、第十七条には、

十七にいう。ものごとはひとりで判断してはいけない。
かならずみんなで論議して判断しなさい。
ささいなことは、かならずしもみんなで論議しなくてもよい。
ただ重大な事柄を論議するときは、判断をあやまることもあるかもしれない。
そのときみんなで検討すれば、道理にかなう結論がえられよう。


とあり、第十条にはこうあります。

十にいう。心の中の憤りをなくし、憤りを表情にださぬようにし、ほかの人が自分とことなったことをしても怒ってはならない。
人それぞれに考えがあり、それぞれに自分がこれだと思うことがある。
相手がこれこそといっても自分はよくないと思うし、自分がこれこそと思っても相手はよくないとする。
自分はかならず聖人で、相手がかならず愚かだというわけではない。
皆ともに凡人なのだ。
そもそもこれがよいとかよくないとか、だれがさだめうるのだろう。
おたがいだれも賢くもあり愚かでもある。
それは耳輪には端がないようなものだ。
こういうわけで、相手がいきどおっていたら、むしろ自分に間違いがあるのではないかとおそれなさい。
自分ではこれだと思っても、みんなの意見にしたがって行動しなさい。


和を尊ぶことは決して、長いものに巻かれたり徒党を組むことが和を重んじることではありません。

チームスポーツなどでも高いレベルに到達するためには、個をどこまでも伸ばしてそれを融合していくことでハイレベルなチームワークが構築できるものです。

妥協や馴れ合いでは生み出されません。

感情に振り回されたり、我欲、自利に囚われることなくとことん議論するなど追求していくことです。

これは自分自身の夢や才能の追求にも言えることでしょう。

自分の中で安易に妥協したり、流れに漂流することでは心身の高いレベルの絶妙なバランスは実現しません。

かと言って感情に振り回され我利我欲を追求していては、そもそも根底が構築できていきませんね。

どうぞあなたの素晴らしい夢や才能の進化を高いレベルで実現していくために、本来の和が何か、貴い和を構築していける方法は何かを考え、感じながらチャレンジしてください。

ただこの和も高いレベルで実現していくには、感情に直結する思考で考えるよりは思感で感じるようにすることですね。

思感の使い方は人間の進化の重要なポイントになります。

(浜本 哲治)

夢殿(法隆寺)Wikipediaより
夢殿(法隆寺)Wikipediaより

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