山下 達郎の名言 Tatsuro Yamashita
曲を書く以外に生きる道はないところに、
いつも自身を追い込んでいなければと思うのです。
山下 達郎 Tatsuro Yamashita
シンガーソングライター ミュージシャン 1953〜
植物たちの美しさ、しなやかさ、逞しさは、
まさに、これしかないと自分を追求したことの結晶でしょう。
あれも、これもをやろうとして、
また、これがダメならあれがあるさと、
逃げ道を用意してのチャレンジでは、
結局何も残らない結果になってしまいます。
ひとつのことを追求するだけでも、
やるべきことは山積していて、
独自の境地に到達しようとすれば、
少しでもエネルギーを分散させたくなくなるものです。
情報や脚色が多くなり過ぎている人間界の、
弊害でもあるのでしょうが、
例えば人間に与えられた時間は、いつの時代も変わりません。
多少便利になったとしても、
人間の集中力が、飛躍的に高まっているわけでもなく、
便利さで生まれた時間は、
溢れる情報に気を取られてしまうことで、
簡単に失われているものでしょう。
便利になっていても、
醸し出される「余裕」を感じられることがなくなっているのは、
その象徴でしょうね。
かえって、時間の浪費が増えていると言ってもいいでしょう。
ひとつのことに集中して、
どこまでも深く掘り下げることによって生まれる余裕は、
植物たちのエネルギーそのものでしょう。
人間の真の余裕も、
本来は、そういうところから生まれるのでしょう。
時間的な余裕があるから、
醸し出される余裕が出てくるのではなく、
どんなに忙しくしていても、
自分にはこれしかないという思いと、
それを深く追求していることによる自信から、
醸し出されるものが、真の余裕でしょう。
それが、美しさ、しなやかさ、逞しさに繋がっていきますね。
それは醸し出されるものであって、
表面的にいくら飾っても、
底の浅い、すぐに見透かされるものになってしまいます。
現代の人間界の状況からすれば、
いかにたくさんのことをしようとするよりも、
いかに余計なことに手を出さずに、
エネルギーを分散させないようにするかを考えた方が、
間違いなく、ひとつの才能の追求は進むでしょう。
才能と才能、エネルギーとエネルギーのコラボレーションは、
お互いに、より高みに到達できるからこそ、
コラボする意味が出てきます。
どちらかが、相手に寄りかかるだけでは、
本来のコラボレーションは成立しませんね。
より高みに辿り着いていくには、
自分自身を、少しでハイレベルにしていくことでしか、
素晴らしい出逢いにも巡り合えません。
最も効果的な自分の高め方は、
得意なひとつに特化して、突き抜けさせて、
全体を引き上げていくことです。
エネルギーを集中させることですね。
どうぞ、あなたが最高に輝く一点に、
あなたの全てのエネルギーを集中させて、
より高みを目指せる出逢いに繋げてください。
山下達郎さんのこんな言葉もありました。
僕は職人の魂で仕事をしたいと思いますが、
自分の昔の価値観や経験則にこだわり過ぎるとたちまち時代に取り残される。
それを避けるためには必死に自己変革や学習を続けるしかないのです。
一点にエネルギーを集中させて、
才能、能力を高めていくことと、
囚われて、融通がきかなくなって、しなやかさが失われて、
進化できなくなるのとでは、全く別次元のことですね。
これを混同してしまうこともありますから、
気をつけていきたいですね。
(浜本哲治)

山下 達郎の名言 Tatsuro Yamashita
曲を書く以外に生きる道はないところに、いつも自身を追い込んでいなければと思うのです。
山下 達郎 Tatsuro Yamashita
シンガーソングライター ミュージシャン 1953〜
植物たちの美しさ、しなやかさ、逞しさは、まさにこれしかないと自分を追求したことの結晶でしょう。
あれもこれもをやろうとして、またこれがダメならあれがあるさと、逃げ道を用意してのチャレンジでは結局何も残らない結果になってしまいます。
ひとつのことを追求するだけでも、やるべきことは山積していて、独自の境地に到達しようとすれば少しでもエネルギーを分散させたくなくなるものです。
情報や脚色が多くなり過ぎている人間界の弊害でもあるのでしょうが、例えば人間に与えられた時間はいつの時代も変わりません。
多少便利になったとしても、人間の集中力が飛躍的に高まっているわけでもなく、便利さで生まれた時間は、溢れる情報に気を取られてしまうことで簡単に失われているものでしょう。
便利になっていても、醸し出される「余裕」を感じられることがなくなっているのは、その象徴でしょうね。
かえって時間の浪費が増えていると言ってもいいでしょう。
ひとつのことに集中して、どこまでも深く掘り下げることによって生まれる余裕は、植物たちのエネルギーそのものでしょう。
人間の真の余裕も、本来はそういうところから生まれるのでしょう。
時間的な余裕があるから醸し出される余裕が出てくるのではなく、どんなに忙しくしていても、自分にはこれしかないという思いと、それを深く追求していることによる自信から醸し出されるものが真の余裕でしょう。
それが美しさ、しなやかさ、逞しさに繋がっていきますね。
それは醸し出されるものであって、表面的にいくら飾っても、底の浅いすぐに見透かされるものになってしまいます。
現代の人間界の状況からすれば、いかにたくさんのことをしようとするよりも、いかに余計なことに手を出さずにエネルギーを分散させないようにするかを考えた方が、間違いなくひとつの才能の追求は進むでしょう。
才能と才能、エネルギーとエネルギーのコラボレーションは、お互いにより高みに到達できるからこそコラボする意味が出てきます。
どちらかが相手に寄りかかるだけでは、本来のコラボレーションは成立しませんね。
より高みに辿り着いていくには、自分自身を少しでハイレベルにしていくことでしか素晴らしい出逢いにも巡り合えません。
最も効果的な自分の高め方は、得意なひとつに特化して突き抜けさせて、全体を引き上げていくことです。
エネルギーを集中させることですね。
どうぞあなたが最高に輝く一点に、あなたの全てのエネルギーを集中させて、より高みを目指せる出逢いに繋げてください。
山下達郎さんのこんな言葉もありました。
僕は職人の魂で仕事をしたいと思いますが、
自分の昔の価値観や経験則にこだわり過ぎるとたちまち時代に取り残される。
それを避けるためには必死に自己変革や学習を続けるしかないのです。
一点にエネルギーを集中させて才能、能力を高めていくことと、囚われて融通がきかなくなって、しなやかさが失われて進化できなくなるのとでは、全く別次元のことですね。
これを混同してしまうこともありますから気をつけていきたいですね。
(浜本哲治)
