ジョン・コルトレーンの名言 John Coltrane
創造的であることが、どうやら現代の人間社会は表面的な変化のことを言っているのかもしれませんね。
時々もう新たな創造はできないほど、人間は発見、発明をしてしまった。というような話を聴くことがありますが、これはとんでもないことでしょう。
まだ人間が見つけだしたものは、自然界にあるもののわずか数パーセントにも満たないものでしかありません。
自分自身の身体のこと、脳のことでさえ、人間はほとんど知り得ていないと言えるでしょう。
創造の種子も潜在的な能力や領域なども、あると考えてアクションを起こすのと、ないと考えての起こすのとでは、同じように起こすアクションでも全く違う結果になってしまいます。
どこまでも深く才能や誰かの幸せのために届ける愛を追求できるのが自然界なのですが、少し行き詰まっただけで、もうこれ以上深くは追求できない。と思考で考えてしまうだけで、その先にあるものでさえ見えなくなってしまいます。
真の創造とは流行りなどで廃れるものではなく、いつの時代でも時空を超えて受け継がれ、語り継がれていくようなものでしょう。
そういう創造は、自然界のシンプルな自然の摂理、真理に向けて追求していけば、どんな分野のどんな才能、愛であっても見つけだす、辿り着くことができます。
あなたの素晴らしい才能や愛の、今考えられる究極を目指して本気でチャレンジしてみてください。
その領域は先人が切り拓いたものかもしれませんが、そこを目指してチャレンジしていく過程で、必ずあなた独自の領域が見えてきます。
その方向が本質、真理に向けられているものであれば、その領域に到達できた才能、愛は必ず時空を超えるものになるでしょう。
道はどこまでも続いています。もちろん追求の道もです。
真の創造の領域に到達できるかどうかは、その道をどこまでも追求する意志があるかどうかだけです。
ジョン・コルトレーンさんのこんな名言がありました。
ぼくの人生にレジャーはなかった。
ジョン・コルトレーンの名言
近い将来、もっと高めたいんだ。
この場所から始まった僕らの仕事を。
ジョン・コルトレーンの名言
四十年余りの人生だったコルトレーンさんですが、その時間の中で時空を超えたものを残しています。
有名になるかどうかではありません。
日本人は特に操作、脚色された著名性などに大きく影響される傾向にありますが、それでは一過性の流行りでしかありません。
名は残らずとも、分野や後に続く人たちの進化に貢献できる創造はいくらでもあります。
誰もがその与えられた生の中で、真の創造が可能な立場にあります。
せっかくですから、ぜひ生涯で時空を超える創造に辿り着いてください。
間違いなくあなたの中にはそういう能力は授けられています。
(浜本 哲治)
コルトレーンが住んでいた家 Wikipediaより