板垣 退助の名言 Taisuke Itagaki
自由とは天地自然の普遍的な原理であり、人は自由によって生まれ、国はそれによって存立するものである。
自由がなければ、人は人生を完遂することはできず、国は国家を維持することができないものである。
板垣 退助 Taisuke Itagaki
土佐藩士 政治家 1837〜1919
Wikipedia(日本語)/ Wikipedia(英語)
板垣 退助さんの名言には、
板垣死すとも自由は死せず。
板垣 退助の名言
という有名な言葉もありますね。
先人たちの献身的なご苦労の結果として、物理的な自由は進化してきました。
ただそのせっかく与えられた自由を、さらに進化させていくのが今を生きる私たちの役割であるはずですが、どうも表面的に上滑りしているだけで、巧妙に様々な目に見えない縛りが張り巡らされて、真綿で首を絞められるような、蜘蛛の糸に絡めとられるように、実は自然界の本来の自由を謳歌できていないのが人間界の現代人でしょう。
また不自由の極めつけは、自分自身で逆の縦横無尽のように自分を縛りつけていることでしょう。
人間は縛られていることに気づくと、それから解放されようと反発し、もがきますが、いざ自由でいいよと言われると、最終的には自分自身で殻を創り閉じこもってしまいがちです。
また気づかない縛りに対しても、自分で創ってしまう殻の代わりに捉えるのか、むしろ心地良さを感じてしまう傾向にもあります。
ただそういう縛りは、食習慣や生活習慣、思考習慣などの不自然な状態が続いていくと、心身の健康がいつか破綻してしまうのと同様に、徐々にその影響が進み、どこかで一気に溢れ出してしまうことが起きます。
人間界のそこここに見られる状態ですね。
最高値の能力を引き出していくにも、夢などの実現力を高めていくにも、どれだけ自然界のルールの中での自由をどこまで大きなスケールで使えるかです。
人間が考えている以上に自然界は自由です。
ただ自由であるがゆえに、個々の高い能力の発揮も要求されます。
中途半端にやっていると自然界では簡単に淘汰されますからね。
自然界の本来の自由を享受しようとしないケースは、人間や自分自身が創った縛りや枠を理由に、その自由の海原に踏み出そうとしないケースは、またさせないケースは、自分自身の自信のなさの現れと考えて間違いないでしょう。
自然界の自由をどこまで謳歌できるかが人生の大きなテーマにもなるでしょう。
自分で縛っていることには、多くの場合気づかないか、気づかないふりをしてしまうのが人間ですが、他人や環境に縛られていることに気づくと、殻を破るという表現よろしく、それを破っていこうとしがちですが、これでは破った先でまた自分自身が困ることにもなりますし、どんどん追われるような感覚にもなるでしょう。
枠や縛りは超えていくことです。
枠や縛りが及ばないような次元に能力や創造を高めていけば、縛りが追ってくることもありません。
どうぞまずは縛り、枠に気づいてください。
いちばん小さな枠や縛りは、自ら創っているものが多いですから、まずはそこを超えていくことです。
ひとつずつ枠や縛りを超えていく感覚をどんどん味わっていってください。
その先には、あなたの素晴らしい夢の実現が待っていますよ。
(浜本 哲治)
高知城の銅像 Wikipediaより