藤原 惺窩の名言 Seika Fujiwara
人を正しくせんとならば、まづ我を正しくせねばなら理ない。
藤原 惺窩 Seika Fujiwara
戦国時代から江戸時代前期にかけての儒学者「近世儒学の祖」1561〜1619
Wikipedia(日本語)/ Wikipedia(英語)
愛は届けたものに与えられる。という自然界の原理から派生している真理です。
人間界では今も自分以外の人を変えること、変えようとすることに、躍起になって自らをすり減らしている人は多いものですね。
自然界で不自然なこと、非常に難しいことをやって、ストレスを溜め込むことになっていることに、この部分でも気づくことです。
誰かに何かを伝えようとするのであれば、まず自分が実践してその背中を見せること。
これがもっとも自然で確実に早く伝わる方法です。
いくら弁が立っても、言葉だけで人を変えようとするのは無理があります。
人は説得はされても、納得はしないものだと心得ておくことが肝要ですね。
また、実践して背中を見せることは、伝えたい人の気づきにも確実な方法ですし、自らの成長、進化にも直結することですから、単に口伝することより何倍もの恵みをもたらすことにもなります。
言葉にも限界はありますが、同じ言葉でも、実践を伴った言葉と単に言葉のエネルギーだけでは、その届くエネルギーのレベルに圧倒的な違いが出てくるでしょう。
そして背中を見せることは、決して結果を見せる、出すことではありません。
チャレンジする背中を見せることです。
過去にどうした、こうした。という言葉では、あまり心に届かないことでも明らかなように、常に今実践、チャレンジしているエネルギーが届き、気づきのドアを開けることになります。
次代の人たちに大切なこと、特に自然界の真理、摂理を伝えていくことはとても重要なことですが。
単なる知識を口先だけで伝えようとしても、決してもっと先の未来の子どもたちに届いていくようなエネルギーにはなりません。
ぜひあなたがその真理に向けて、夢や理想、志に向けていつまでもチャレンジし続ける背中で語ってください。
これ以上に、大きなエネルギーになって届いていくものは他にはありません。
(浜本 哲治)
藤原惺窩像『先哲像伝 近世畸人傳 百家琦行傳』より Wikipediaより