天璋院 / 篤姫の名言 Tenshoin / Atsuhime
どんな人の声にも耳を傾け、その人の身になってよくよく考える。
それでも迷ったら考えるのをやめて、自分を信じて感じるがままに任せなさい。
天璋院 / 篤姫 Tenshoin / Atsuhime
江戸幕府第13代将軍徳川家定御台所 1836〜1883
Wikipedia(日本語)/ Wikipedia(英語)
考えても結論の出ないこと、どの選択肢を選ぶべきかの根拠が見えてこないことはよくあることですね。
これは、自然界の未知の未来は、目に見えていることや過去の経験だけでは、決して推し量れないものですから、当然と言えば当然です。
かと言って、見えている部分だけ、過去に経験した結果が鉄板的に明らかなことだけを選択していったのでは、一歩も成長、進化の道へは踏み出していくことはできません。
無限に可能性のある自然界で、過去や今に、知っていることだけに縛られ、囚われてアクションを限定してしまうことほど、もったいないことはありません。
こういう時こそ思考を超えた、思感の領域、自然界の可能性の領域に踏み込んでいくことですね。
そうは言っても盲滅法にアクションを起こして、夢の実現が進んでいくほど自然界の広大な可能性の海原は狭くはありません。
いずれにしても、一人の人の起こすアクションは大海の一滴ですから、単に行動を起こしただけではすぐにかき消されてしまいます。
しかし、たかが一滴でも、されど一滴にして、夢の実現に向けて自然界を動かすツボを押さえた一滴にしていくことが、思感の領域、潜在領域を使っていくことです。
本来人間の潜在脳は、物事の本質を捉えています。
また、目に見えない、五感で検知できていないエネルギーもキャッチしているものです。
そのキャッチしている情報を引き出して活用していくのが、思感、潜在領域の使い方ですね。
それを活用していけることが、真に自分を信じることに繋がっていきます。
ただ、俗に言われる直感で、当てずっぽうにアクションをチョイスしていっても、本来、思考以上に信頼に足る、思感の能力を信じ切ることはできるようにはならないでしょう。
ましてや、いざという局面で突然使おうとしも、なかなか使えるものでもありません。
自分の思考とは、幼い時から親しみ、幾度となく活用してきているからこそ信頼関係が築けているのと同様に、思感とも日常的にふれあい、親しんでいてこそ、ここぞという場面でその威力も、信じる心も発揮できるものです。
思考がそうであるように、思感も使えば使うほどにクオリティがどんどん高くなっていきます。
その成長、進化の度合いは、思考とは比較にならないほど大きく、深いものです。
閃きはたまたま出てくるものではなく、本来自由に自在に引き出すことができるものです。
閃きは思感からの情報ですが。
これを自在に引き出せるようになれば、思考とのクオリティの違いを間違いなく実感できることになります。
ぜひ、日常の中から思感の活用を促進していってください。
折に触れて思感の活用方法、閃きの引き出し方も話していますが、決して難しいことではありません。
むしろ思考を使うより簡単でしょう。
あなたの素晴らしい才能には、クオリティの高いアクションを授けてこそ、真価を発揮できるというものですね。
(浜本 哲治)
天璋院篤姫 洛中洛外滞在時の宿泊地石碑(京都市・伏見区)Wikipediaより