クセノフォンの名言 Xenophon

クセノフォン(Xenophon)Wikipediaより

身体を鍛錬しない者は、身体を使う仕事を為し得ないのと同様、精神を鍛錬しない者は、また精神の仕事を行うことができない。

クセノフォン Xenophon

古代ギリシアの軍人 著述家 紀元前427~355


本来パフォーマンスと心は一対のものですから、切り離しては考えられないのですが、どちらかに重きを置かれている仕事もありますから、分けて考えてみると分かり易いですね。

アスリートがプロとして生きていくには、もちろんそのパフォーマンスがプロレベレであることは必須の要件です。

同じように感性が必要とされる仕事においては、感性、心のレベルがプロフェッショナルでなければ、プロとして生きていくことは出来ないでしょう。

例えば、夢や安心や癒しを届ける仕事であれば、届ける人の心が日常の些細なことで揺れ動いているようでは、なかなか素敵な夢や安心や癒しは届けられませんね。

プロのアスリートが最高のパフォーマンスを届けるためには、もちろん本番で最高を披露することは当然のことですが。

そのためには日常を含め、大半の時間をそのパフォーマンスのために費やして生み出されています。

本番だけ上手くやろうとして、プロとしてやっていけるほど甘くはありませんね。

すべての時間、エネルギーをそのために注ぎ込んで、ようやくプロとしてのレベルが維持されるものです。

感性を仕事にする場合も、全く同じことが言えるでしょう。

そしてアスリートであっても、その最高のパフォーマンスを生み出すためにも、心の果たす役割は大きいものです。

地道なトレーニングを明けても暮れても繰り返すことを、毎日毎日続けていくことはメンタル、心の強さが要求されます。

また、ただパフォーマンスのレベルが高いだけでは一流止まりで、一流を超えていくためには心を研ぎ澄ましていかなければ成し得ないことですね。

本質に辿り着ける感性、常にしなやかな自然体、平常心を保てる心を養う必要があります。

感性をプロとして届ける場合も、身体が病んでいてはもちろん最高の感性を届けることは出来ませんから。

いずれのプロであっても、最終的には心身ともにプロフェッショナルでなければ、一流、超一流の域には到達できません。

特に心を伝えるプロにおいては、日常の心や感性の在り方が繊細に、微妙に、そして大きく伝わってしまいますから、アスリート以上に純粋に、しなやかに澄ましていくことが大切になりますね。

プロとしての心と身体を磨いていくことは、果てしない追求のチャレンジです。

完成はありませんが、何を目指しているのか、どのレベルまで到達しようとしているのか。

その目指すものでチャレンジの内容も違ってきますし、醸し出される心の現れも違ってきます。

常に過程にあるあなたが表現するパフォーマンスや心が届けられることになります。

そういう観点からも、どれほどのレベルを本気で目指してチャレンジしているかが、あなたのプロとしてのレベルになりますね。

どうぞあなたの分野の最高レベルを本気で目指してください。

そして常に心身ともに最高のプロであることを目指してください。

これはやっぱり好きでなければ、愛していなければ出来ないことですね。

クセノフォンさんのこんな名言もありました。

食欲にまさる薬品なし。


己れを知らざることや、知らぬことを知っているように空想して、知っていると思いこむことは狂気にもっとも近い。


あらゆる音のうちで最も甘美なるもの、即ち賞賛である。


なるほどあの娘は美しい。
しかし美しいと思うのはお前の目なのだよ。


(浜本哲治)

LINEで送る