良寛の名言 Ryokan
花、無心にして蝶を招き
蝶、無心にして花を尋ねる
花、開くとき蝶来たり
蝶、来るとき花開く
知らずして帝則に従う
良寛 Ryokan
江戸時代の禅僧 書家 歌人 1758~1831
Wikipedia(日本語)/ Wikipedia(英語)
「帝則」とは自然の法則、自然の摂理のことですね。
あなたにも多分経験があると思いますが、仕事や日常の生活の中で技術的なことや物事が思いも寄らず上手くいくことがあります。
これはアスリートでも、自分のプレーがふとした瞬間に壁を突き抜けるような、大げさに言えば悟ったような瞬間に遭遇することがあります。
こういう時に往々にして技術的なことの検証をして、同じように再現できないかと考えてしまいます。
しかし多くは技術的な問題ではなく心の状態であることが多く、閃きや感性から出てきたものを思考で再現しようするのは非常に難しいことです。
こういう場合は技術的なことで再現しようとせずに、そういう想像を超えたパフォーマンスは、思考を手放して感性に引き渡した時に必然的に起こるようになりますから、思考を手放すトレーニングをして頻繁に再現されるようにした方がいいですね。
もちろんベースになる基本的な技術がなければ、感性の中で融合された高いレベルのパフォーマンスが現れようがありませんから、思考で考えうる範囲の基本的な技術は、常に高めるためのトレーニング、ハードワークは必須です。
思考を手放して感性に引き渡す感覚は、日常の中での予想外に上手くいった時の心の状態、思考の状態を注意深く感じてみるといいですね。
毎日同じようにやっていることでも、そのパフォーマンスや相手の反応が素晴らしくいい時があるはずです。
もちろん反応などは人が違えば感じ方も違いますから、一概に参考にならない時もありますが、伝えた内容や伝え方を検証するのではなく、その時の心や思考の状態ですね。
これをよくよく感じてみることです。
その思考を手放す感覚を掴めれば再現性が高くなっていきます。
これがまさに無心の状態ですね。
これはあなたのパフォーマンスだけでなく、人や出来事などとの出会いにも言えることです。
目の前で起こる出来事は、すべてあなたが言動によって引き寄せた必然ですが、あなたが何かをすると、こういう反応が返ってくると予測できることもありますね。
しかしそれも同じことを同じようにしていても大きく違う反応になることがあります。
思考で最高のパフォーマンスだと感じられたことの反応がそれほどいいものではなく、それほど良いパフォーマンスではなかったのに予想以上に反応がいいこともあるでしょう。
こう考えていくと、通常「1」を与えて「1」が返ってくるものが、0.1になったり、10になるのは感性の部分の成せる業です。
まさに心の投影が目の前で起こる現象ですね。
普段から何を思い、何を感じているかで同じことをしても現れてくる現象が違ってきます。
愛を乗せて届ければ愛が返ってきますし、邪心を乗せれば相応の現象が起こるということですね。
一途に夢中に無心になって、誰かの幸せや役に立つことをその心のままに届けていけば、この詩のように必要な出会いには自然が巡り会わせてくれるということですね。
それは偶然ではなく必然です。
自然体と言うと難しいことのようですが、純粋に世のため人のために役立つことを夢に据えて、それを実践するために与えられた天賦の才である天才を、思考をフルに活用してトレーニングで磨き込んでいって、それから思考を手放して心から、感性から届けることです。
自然が応援してくれるあなたの夢へのチャレンジになると、これほど心強いものはなく、驚くほどスムーズに進んでいきますよ。
良寛さんのこんな名言もありました。
自惚れることも、卑下することもない、上もなければ下もない。
良寛の名言
人さまに迷惑をかけたり、恥ずかしいことは慎むこと。
良寛の名言
死ぬ月日さえも丁度良い。
良寛の名言
なにものが 苦しきことと 問うならば 人をへだつる心と答えよ。
良寛の名言
静かにひとりで暮らすこと。
良寛の名言
相手に対して嫌な感情をもって人を叱ってはいけない。
良寛の名言
我が生 何処より来たる 去って 何処にか行く。
良寛の名言
言葉はよく吟味してしゃべりすぎてはいけない。
良寛の名言
これまでに紹介した良寛さんの名言です。
(浜本 哲治)
良寛像と自賛和歌 Wikipediaより