君原 健二の名言 Kenji Kimihara
もちろん実現を目指して努力したことが全て実現することはありません。
しかし努力、チャレンジなしに実現する夢もありませんね。
本当に大切なことは、真剣に実現を目指して最後まで実現に手が届くほどのチャレンジを積み上げられたかどうかです。
勝ち負け、実現の有無は結果として出てきますが、生ある限りそこで終わりにはなりません。
例えその道を進んでいくことがそこで終わりになるとしても、それまで積み上げたチャレンジは必ずどの道でも活かされます。
どんな分野の道を歩むことになっても、夢を実現するための原理原則、真理は同じです。
その真理を感じるためにも、結果よりもチャレンジの中身が大切です。
そして勝ちや実現からは人間はあまり真理を見出せません。
負けや実現しないことの方が、過程のチャレンジを検証して真理を見出せる可能性が高くなります。
また本来夢などの目指すものは、その実現に見合う中身のチャレンジを創るために大きな意味のあるものです。
いい加減なチャレンジで実現してしまっては才能が磨かれることもありませんし、学びも少なくその後に活きてきません。
同じ時間を過ごすのに、どういうチャレンジを重ねられるかが目指すもの、夢の本来の役割ですね。
本気で目指せる大きな高い夢を本気で実現させようとしていくチャレンジにこそ意味があります。
そういうチャレンジが才能を進化させさらなる可能性を広げて、人生の中で無駄になることはありません。
何かを目指したチャレンジのない時間がいちばんもったいない時間ですね。
君原 健二さんのこんな名言もありました。
無我夢中だった。
冷静に走っていたつもりだったが、調整に失敗したのか、だんだん体が重くなって。
当時の入賞は6位まで。
入賞を逃して関係者は落胆したが、持っている力を発揮し切れないのも力のうち。
成績について悔いはなかった。
(1964年の東京五輪をどんな思いで走ったかとの問いに)
君原 健二の名言
冷静さを失っていた。
頑張らなければいけないという思いと、気楽に出ればいいんだという思いで心が揺れ動いた。
冷静に試合に臨まないといけないのに、他競技を見に行ったり、選手にサインをもらいに行ったり。
甘さがあったと思う。
(1964年東京五輪で力を発揮できなかった要因を)
君原 健二の名言
レースに出たかった円谷さんのために走ろうという気持ちになった。
先輩が築いてくれたマラソンの伝統がある。それを守ることができて満足した。
(メキシコ五輪について)
君原 健二の名言
円谷さんとともに希望の聖火をつなぎたいときょうを待っていた。
オリンピックに出たときのようにうれしかった。
(2021年東京五輪の聖火リレーをして)
君原 健二の名言
生涯最大の思い出。
国民に感動と勇気、希望を与えられた。
(1964年の東京五輪を振り返って)
君原 健二の名言
これまでに紹介した君原 健二さんの名言です。
(浜本 哲治)