双葉山 定次の名言 Sadaji Futabayama
木鶏は荘子(達生篇)にある故事に由来する言葉で、木彫りの鶏のように全く動じない闘鶏の最強の状態を表現したものです。
双葉山さんが69連勝で連勝記録が止まったときに、友人に宛てて打電したものだと言われています。
何があっても泰然自若として不動心でいられることは、目指していきたい境地ですね。
常に変化、進化している自然界では、どんな分野でも極めることは出来ませんが、極めようとチャレンジしていくことが大切なことです。
どんな分野のどんなことでも究極と思われることはあります。
あなたの才能の究極の姿はどんなものでしょう?
あなたの夢の究極と思われるものは、どんな幸せをどれほどの人に届けることでしょう?
仮にそこに到達したとしても、まだまだ先は見えてきます。
またあなたの人生でそこまで到達しなかったとしても、そこを目指してチャレンジしたことが大きな有形無形の財産になっていきます。
どうにもならないことどうでもいいことに必要以上に振り回されない、自然体や木鶏の域に少しでも近づくには究極と思われることを本気で目指すことです。
植物たちの花が息を飲むほど美しいのは、最高を目指して最高のチャレンジを日々しているからでしょう。
目指すものも進化しチャレンジも能力も進化する。
ぜひ今考えうる、感じうる最高を目指してください。
そのチャレンジには、その過程にある以前の夢は当たり前のように実現していくでしょう。
能力も目指すものに応じて磨かれていきますね。
あなたの究極を目指した人生の旅は、あなたの才能と心を磨き、あなたにも人類にも未来の子たちにも、大きなプレゼントを残しながらいつまでも続いていきますね。
あなたの木鶏をぜひイメージしてください。
双葉山 定次さんのこんな名言もありました。
相撲は身体で覚えて心で語れ。
双葉山 定次の名言
相撲ほど怪我をしない競技は無い。
双葉山 定次の名言
心・気・体
双葉山 定次の名言
勝負師は寡黙であれ。
双葉山 定次の名言
稽古は本場所のごとく、本場所は稽古のごとく。
双葉山 定次の名言
後の先。
双葉山 定次の名言
(浜本 哲治)
新横綱の頃の双葉山。太刀持ち名寄岩、露払い羽黒山。Wikipediaより