荻生 徂徠の名言 Sorai Ogyuh

荻生 徂徠(Sorai Ogyuu)Wikipediaより

人を用うるの道は、その長所をとりて、短所はかまわぬことなり。
長所に短所はつきてならぬもの故、短所は知るに及ばず。
ただよく長所を用うれば天下に棄物なし。

荻生 徂徠 Sorai Ogyuh

江戸時代中期の儒学者 思想家 1666〜1728
Wikipedia(日本語)/ Wikipedia(英語)


荻生 徂徠さんの「徂徠訓」と言われるものがあります。

徂徠訓

一、人の長所を初めより知らんと求むべからず。人を用いて、初めて、長所の現はるるものなり。
ニ、人はその長所のみを取らば、即ち可なり。短所を知るを要せず。
三、己が好みに合う者のみを用ふるなかれ。
四、小過を咎める用なし。ただ事を大切になさば可なり。
五、用ふる上は、その事を十分にゆだぬべし。
六、上にある者、下の者と才智をあらそふべからず。
七、人材は必ず一癖あるものなり。器材なるが故なり。癖を捨つべからず。
八、かくして、上手に人を用ふれば事に適し、時に応ずる人物、必ずこれにあり。
九、小事を気にせず、流れる雲のごとし。


これは誰かを見守るケースでも、自分自身が事に当たる場合にも言える大切なことですね。

まだまだ短所と思われるところを矯正することが、成長、進化に最適だと考えている人は多いです。

最適だとは考えていなくても、通常自然界の自然な状態として、誰かの、また自分自身の長所と感じられるものは2割程度で大半の8割は短所、または長所ではないと感じられるところですから、そこにフォーカスしてしまうことが多くなるのも仕方のないことでしょう。

ただ、ひとつの得意な才能や能力を追求していくことでさえ極められることはありませんから、短所と感じられる部分もひとつの才能、能力と考えれば、それを矯正してもその追求が終わることはないでしょう。

また仮にひとつの短所が矯正できたとしても、別の新たな短所が気になってその矯正が始まるだけですから、短い時間制限のある人生でそれをし尽くすことは不可能と言えるでしょう。

さらに言えば、短所と感じている部分も自分自身が感じるだけであって、他の誰かにとってはそれが最高の長所だと感じられることもあります。

そんな短所に囚われていてストレスをたくさん溜め込み、前に進むより立ち止まることの方が多くなっていては、夢の実現や才能、能力の開発、進化はままならないでしょう。

自分自身の、また見守る人もひたすら長所と付き合っていくことです。

長所を見つけ長所にフォーカスしてチャレンジしていく能力が、夢の実現、才能の開発には最も必要であり磨いていく必要のある能力でしょう。

この能力は遭遇する出来事の真意を見極める能力にも繋がっていきます。

長所にフォーカスする習慣。
長所しか見ない思考。
この能力はいくらでも身につけることができる能力です。

他のどんな能力を磨くよりこの能力を磨いた方が、夢の実現、才能の進化はもとより、充実した人生にいちはやく到達してさらに先の領域が見えてきますよ。

ぜひこの無敵の習慣、思考はすぐにでも習得してください。

(浜本 哲治)

荻生徂徠墓(東京都港区)Wikipediaより
荻生徂徠墓(東京都港区)Wikipediaより

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