エピクロスの名言 Epikouros

エピクロス(Epikouros)Wikipediaより

自分の持っているものを、十分に自分にふさわしい富と考えない人は、世界の主となったとしても不幸だ。

エピクロス Epikouros

快楽主義などで知られる古代ギリシアのヘレニズム期の哲学者 エピクロス派の始祖 紀元前341〜270
Wikipedia(日本語)/ Wikipedia(英語)


自然界で暮らす存在は、生きる源泉として欲を与えられていますから、欲望を感じることは大いに必要なことです。

ただその欲望という言葉のイメージからも、人間は欲を得るものに対して向けますが、本来は届けられる愛や才能に対して向けるものでしょう。

今の人間界は、あまりにも欲の使い方を間違えているでしょう。

その結果自らを苦しめることになっていることに気づくことが大切でしょう。

与えられているものは、自らが届けてきた愛に見合うものが結果として与えられています。

これに不満を抱いている限り、本質に気づかない限り、その状況が変わることもないでしょう。

自然界は極みがない世界ですから、夢のそして才能、能力の果てはありません。
そんな自然界で暮らすために授けられた欲も、際限なくあることは自然の道理ですが。

自然界の全てのものには表裏があるように、その使い方が自然に沿ったものから外れてくると、そのエネルギーで自らが苦しむことになります。

エネルギーの共鳴の現象で全てのことが起こる自然界では、結果として与えられるものは、それが愛であっても、出来事や人との出逢いであっても、誰かから投げかけられる言動であったとしても、その原因はすべて自分の内にあります。

その自然界の原理を理解していかないと、その放出しているエネルギーに気づいていかないと、富を含む愛が相応に与えられていることに気づくこともないでしょうし、全てを許し受け入れることが難しいということにもなります。

今のその心の状況はそのまま推移していきますから、例えば愛がもっと与えられた状態になったとしても、欲の向ける方向、対象も同じですから、いつまでも満足、納得することはないでしょう。

こういう状況になれば幸せになれる。という妄想を抱いてきた現代人の最大のウィークポイントと言えるかもしれませんね。

幸せを感じるのは常に今しかありません。
どこかに辿り着いたから感じるものではなく、その辿り着いた瞬間も含めて、すべての幸せは過程の中にしかありません。

エピクロスさんのこんな名言もありました。

自然に強制を加えてはならず、むしろ、これに従うべきなり。

エピクロスの名言


自然界では自然そのものももちろんそうですが、自然の原理、ルールなども、人間が手を加えるほどに不自然なものになっていきます。

欲の向ける対象、方向も、自然界の愛、エネルギーの循環からしても、自然に人間が手を加えてしまったものになっています。

目指す夢などもしかりですね。

あらゆるものが自然から乖離してきているのが人間界の状況でしょう。

それにしても、紀元前の昔から数千年経っても、まだまだ人間は進化するどころか後退している感すらありますが、その結果が今の自然界の状況を創っているのでしょう。

そろそろ進化して、当たり前のレベルを高めていかないと、なかなか植物たちのレベルに到達していけませんね。

あなたの素晴らしい才能は、ぜひ自然に沿った上に乗せて、進化した発想の上で発揮することを目指してください。

自然に沿った発想、実践の中でこそ、あなたの才能は最高に輝いていくことに、ぜひ気づいてください。

これまでに紹介したエピクロスさんの名言です。

(浜本 哲治)

エピクロスの胸像 Wikipediaより
エピクロスの胸像 Wikipediaより

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