北原 白秋の名言 Hakushu Kitahara

北原 白秋(Hakushu Kitahara)Wikipediaより

子供に還らなければ、何一つこの忝(かたじけな)い、大自然のいのちの流れをほんとうにわかる筈はありません。

北原 白秋 Hakushu Kitahara

詩人 童謡作家 歌人 1885〜1942
Wikipedia(日本語)/ Wikipedia(英語)


子どもはなぜ天才なのか?

それは自分に限界を創っていないというところに尽きるでしょう。

自由に夢を描き、抱くことが出来ます。

これが人間界の経験を重ねていくと、どんどん自分の限界を自分自身で設定してしまいます。

人間界の教育を受け、型にはめられていき、たくさんの困難に遭遇しては自分の可能性を自ら制限してしまい。

いつの間にか自分が何者であるのかさえ分からなくなってしまっています。

自然や自然の摂理が分からなくなっているのも、自分自身の心を不自然な状態にしてしまっているからでしょう。

何をするにも自由な世界に身を置きながら、自由に発想、行動が出来ないのも、不自然な枠の中に自分の心を閉じ込めているからです。

特になんでも吸収してしまう子どもの頃に潜在意識に刷り込まれてしまった制約は、いつまでも残っていくものです。

この成長の過程で自分自身で設定してしまった限界を取り払うには、かなり心の痛みを伴うものです。

しかしこれは自分自身の意志さえあれば、いくつになってもブレイクスルーすることは出来ます。

まずは自分自身が自由であること、そして限界や制約を創ってしまっているのが、他の誰でもない自分自身だということを認識することです。

今大人になったあなたが、あなたの天才を輝かせようと思うのであれば、この自分で創ってしまった枠をひとつひとつ取り払っていくことですね。

もし何かに不自由さを感じていたとしたら、自分で設定している限界と思っていることはないか、あなたの心と向き合う必要があります。

もちろん人間に与えられた時間や肉体に制限がありますから、すべてのことに無限の可能性があるわけではありません。

そのためにひとりひとりに天賦の才を与えられているわけです。

好きになる心、興味を持つ心がどこから来るのか。
これは間違いなくあなたの天才からに他ならないでしょう。

あなたが天才をいかんなく発揮するには、360度視界の開けた自由を認識して、子どもの心をあなたの肉体に備えさせることです。

自然は人間ほど自由ではないと思っていますか?
木々や草花は動けないし喋らない。

しかし彼らはそこに自分が最高に輝くために必要なものはすべてあることを知っていて、例えどんな環境に晒されようと自分を輝かせることを命が尽きるまで諦めることはありません。

心はいつも自由ですね。

そんな何があっても自由な心を持った自然のことを本当に感じられるのは、やはり自由な心を持った人間です。

さらに言えば、不自由になった人間の心にも自由とはどういうものかを自然は教えてくれます。開放してくれます。

自然と戯れるとき童心に還ったり開放的になったりしますね。

あなたの天才を発揮するために必要なものは、自然の中に、あなたの中にあるということです。

北原 白秋さんのこんな名言もありました。

二人デ居タレドマダ淋シ。一人ニナツタラナホ淋シ。シンジツ二人ハ遣瀬ナシ。シンジツ一人ハ堪ヘガタシ。

北原 白秋の名言

言葉の一つ一つはかの黒の朱のてんとう虫の如く、羽立てて鳴る。微かに鳴る。
言葉の一つ一つはすべてが生ける言霊である。生物である。

北原 白秋の名言

この心 いよよはだかと なりにけり 涙ながるる 涙ながるる

北原 白秋の名言

他流を知ることは自己を知ることである。

北原 白秋の名言

師は選ぶべきであるが、また弟子も選ばるべきである。

北原 白秋の名言

苦悩は我が霊魂を光らしむ。

北原 白秋の名言

誰もみな善い美しいものを見たときに、自分もまた善くならなければならないと考へる貴重な反省。
最も秀れた精神に根ざしたものは、人心の内奥から涙を誘ひ洗ひ清めるのである。

北原 白秋の名言

自分の弱さを心から知り得たとき、人は真から強くなる。真の自分を見出す。

北原 白秋の名言


これまでに紹介した北原 白秋さんの名言です。

(浜本 哲治)

北原白秋生家(福岡県柳川市)Wikipediaより
北原白秋生家(福岡県柳川市)Wikipediaより

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