道元の名言 Dogen
私たちがいつも見えているもの、五感で感じていること、また自分自身の過去の経験や、今感じている自分の可能性などは、実際に存在していることのほんの一部だと考えた方がいいでしょう。
人間の脳や自然の中で起こること、宇宙に関しても人間が知り得ていることはほんの僅かなことです。
日常的に起こって実際に感じていることでも、それがなぜ起こるのか、まだ人間の科学では解明されていないことがたくさんあります。
それは今後長い時間をかけて解明が進んでいくと思いますが、例えば人間の潜在能力は存在していて、その能力にアクセス出来ること、これはすでに分かっていることですね。
日常的に使われている能力が、僅か数パーセントから数十パーセントで、その能力の大半は眠ったままで使われることなくそこにある。
この能力にアクセスすることが自由に出来たら凄いことですよね。
そのひとつの方法が、まさにこの言葉のようにひとつのことに夢中になって追求していくことですね。
私にもラグビーアスリートとして夢中になっている時には、ボールを受けた瞬間にトライまでの走るコースが道のように光って見えたり、周りの動きがスローモーションのようにゆっくりと見えたりしたことがあります。
その頃は、たまたま何かの瞬間に訪れるだけで、意識して再現性を持たせることまでは追求しきれませんでしたが、その体験はその後の活動の中で活きています。
私が開発した波動トレーニングや、3:7の法則をはじめとするいくつかの法則の発見には、そのことを活用してある日突然閃きとしてやってきたものです。
どんなことでも、とことんたゆまなく追求してみることですね。
あなたの天才と感じてること、好きな道を、それこそ極めるつもりで追求していくことですね。
たぶん極められることはないのでしょうが、深く深く追求していく過程で、追求した人にしか見えない世界があります。
そういう世界をぜひ体感してください。
そしてどういう分野を追求しても、見えてくる根本にある真理、自然の摂理は同じところにあります。
あなたの能力は一生かけても使い切れないほど、まだまだ無限に眠っていますよ。
日々起こることに右往左往したり、まだ潜在能力や解明されてないことばかりの、人間界で創られた常識や風潮などに囚われ、惑わされてる場合じゃないですね。
ひたすらあなた自身の能力を、天才を追求していくことがいちばんです。
道元さんのこんな名言もありました。
貧なるべし。
なまじ財多くなれば、必ずその志失う。
道元の名言
かならず非器なりと思うことなかれ。依行(えぎょう)せば必ず証をうべきなり
(自ら卑下することなく地道に努力すれば、必ず報われるものである)
道元の名言
仏道をならうとは、自己をならうことである。
自己をならうとは、自己を忘れることである。
自己を忘れることは、万法に証せられることである。
万法に証せられるとは、自己の心身をも他己の心身をも脱ぎ捨てることである。
道元の名言
まず苦事をなせ。
(人のいやがることを進んで行う)
道元の名言
すべての生きとし生けるものにはみな仏性がある。
道元の名言
まことに一事をこととせざれば、一智に達することなし。
(一事に専念、事を成就しえずして悟りの智恵を開くことはできない)
道元の名言
無益の事を行じて徒(いたずら)に時を失うなかれ。
道元の名言
仏教を学ぶということは、自分を学ぶことである。
自分を学ぶとは、自分を忘れることである。
そして、世界の森羅万象から直接教わるのが学ぶことの本質であり、その際には、徹底的に謙虚にならなければならない。
道元の名言
これまでに紹介した道元さんの名言です。
(浜本 哲治)
道元禅師示寂の地 Wikipediaより