ヒポクラテスの名言 Hippocrates

ヒポクラテス(Hippocrates)Wikipediaより

人生は短く、技芸は長い。
好機は去りやすく、経験は過ち多し。

ヒポクラテス Hippocrates

古代ギリシャの医者 紀元前460~377
Wikipedia(日本語)/ Wikipedia(英語)


人生は本当にあっと言う間に、誰もが必ずゴールを迎えます。

そして天賦の才を磨いていくには、本当に途方もない時間がかかります。というより終わりはないでしょう。

例えば、アスリートのアスリートとしての人生を見てみると分かりますね。

たぶん未だかつて、自分の競技、種目を極めたと思ってその人生を終えた人はいないでしょう。

アスリートのアスリートとしての人生は、そのまま真の人生の縮図でしょう。

私たちには永遠の時間は与えられていません。

その限られた時間の中でどこまで極めることが出来るか。

先人が辿り着けなかった領域に踏み込むことが出来るか。

記録を競うアスリートの競技では、昔は人間には無理だと言われた記録も破られるものです。

まあ最近はドーピングや、用具、環境の影響も大きいですから、一概に人間の進化とは言えませんが、どんな道でも、どんな偉大な先人でも、間違いなくその道を極めた人はいないでしょう。

極めたと思うこと自体、人間の傲慢なのかもしれませんね。

人間の、自然の可能性はそれほど底の浅いものではありません。

あなたがあなたの天賦の才で、未知の領域に足を踏み入れることは、あなた次第でいくらでも可能性のあることです。

そして技術や知識などは、もちろんたゆまぬ磨き込みは必要ですが、未知の領域に踏み込んでいくためには、技術的なことにいつまでも四苦八苦していてはその先に進んでいくことは出来ません。

最後は技術を超えた心の差になります。
技術を磨く以上に、深く、時間のかかることです。
技術云々と言っているレベルでは、とても極める道には入っていけません。

どんどん技術をトップレベルにまで高め、心の領域を追求していくのに、人間の人生はあまりにも短すぎます。

何事も、やりたいと心が感じるものは、始めるのに遅すぎることはありませんが、今のタイミングを逃すと、例えば技術的なことなどは、それを習得するのに何倍もの時間がかかったりします。

限りある時間の中で、今のタイミングを逃してしまうと、結局極めるレベルが低くなってしまうと言うことですね。

無理をするのとは違いますよ。
何かを極めようとする場合には、休息も大切なひとつのファクターですから、疲労を抱えてしまうことは、例えばプロとしては二流ということになります。

悠長にマイペースでと言ってる場合じゃありませんね。

スランプという言葉と同じように、マイペースという言葉は、技術を一流レベルにして、超一流にチャレンジしている人だけが使える言葉でしょう。

そして経験に頼り過ぎるのは成長、進化の妨げになります。

過去の経験から学ぶことは大切ですが、過去の経験に天賦の才を委ねるウエイトが大きなればなるほど、間違いなく進化は止まります。

過去に上手くいったケースでも、例えばアスリートの世界では1ミリのズレだけで別世界になります。

過去の経験は学ぶものであって、委ねるものではありません。

せっかく与えられたあなたの天賦の才です。
限られた時間の中でどこまで極められるか。

どうぞチャレンジしてみてください。
これぞ人生の醍醐味ですね。

どうでもいいことに煩わされて、立ち止まってる時間は本当にもったいないですよ。

ヒポクラテスさんのこんな名言もありました。

病気は神が治し、恩恵は人が受け取る。

ヒポクラテスさんの名言

月に一度断食をすれば病気にならない。

ヒポクラテスさんの名言

火食は過食に通ず。

ヒポクラテスさんの名言

老人は若者より病気は少ないけれども、彼らの病気は彼らから去らず。

ヒポクラテスさんの名言

病人の概念は存在しても、病気の概念は存在しない。

ヒポクラテスさんの名言

人は身体の中に100人の名医を持っている。
その100人の名医とは自然治癒力である。

ヒポクラテスさんの名言

人生は思考するものにとっては喜劇であり、感情に流されるものにととっては悲劇である。

ヒポクラテスさんの名言

人は自然から遠ざかるほど病気になる。

ヒポクラテスさんの名言


これまでに紹介したヒポクラテスさんの名言です。

(浜本 哲治)

コス島のアスクレピオス神殿 Wikipediaより
コス島のアスクレピオス神殿 Wikipediaより

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