西郷 隆盛の名言 Takamori Saigo

西郷 隆盛(Takamori Saigo)Wikipediaより

人を相手にせず、天を相手にせよ。
天を相手にして、己を尽くし、人を咎(とが)めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし。

西郷 隆盛 Takamori Saigo

薩摩藩の武士 明治初期の政治家・軍人 1828~1877
Wikipedia(日本語)/ Wikipedia(英語)


西郷 隆盛さんが好んで使われた言葉に「敬天愛人(けいてんあいじん)」があります。
天を敬い、人を愛せよ。ということですね。

あなたの天賦の才である天才は、必ず誰かの命を繋いだり、幸せをもたらすものです。

その天才を極めていくことが、あなたのこの人生の使命でしょうね。

アスリートたちの世界での活躍でも、感動や夢が届けられて、アスリートたちの後を追う子どもたちが出てくるでしょう。

アスリートたちも自らのパフォーマンスで夢と希望を届けた後は、次の世代を育てていくことになるでしょうね。

天才を極めていくことはどこまでいっても自分自身を磨くことです。

相手と競うアスリートであっても、すべては己との闘いです。

自分の天才を磨くにあたって、世のため人のために役立てることではあっても、それはすべて自分自身をひたすら磨くことであって、他人の言動や環境に振り回されていては、いつまでも磨き込まれることはありません。

他人の目を気にして自分の信念がグラグラ揺らいでいませんか?

または他人が見ていないから、お客さんには分からないことだからと手抜きをしたり妥協していませんか?

人のため誰かのためではあるのですが、人を相手に考えていると、人の言動や視線に左右されていると、最善を尽くすことが疎かになりがちです。

天を相手にすることは、決して騙すことの出来ない自分自身の心と向き合うことです。

最善を尽くせたかどうかは自分自身がいちばん知っています。

そしてあなたの天才を極めていけばいくほど、その結果は人智を超えたものになっていきます。

結果ばかりを気にしてしまうことも最善を尽くすことの妨げになりますね。

自分のやれるだけのことをやり尽したら必ず結果は応えてくれます。

最善、最高を尽くしていれば、その結果はすべて受け入れられるものです。

どうぞ周りや結果を気にすることなく最高の夢を持って、あなたの最高を積み重ねていってください。

もちろんあなたの天才磨きを、または結果を誰かのせいには出来ませんね。

すべてはあなたの為したことの結果です。

「人事を尽くして天命を待つ」

私の座右の銘でもあります。

ただひたすら自分の心と向き合って自分自身を高めていくこと。

夢を実現する、天才を輝かせるにはこれしかないでしょう。

西郷 隆盛さんのこんな名言もありました。

国民の上に立つ者は、いつも心を慎み、普段の行いを正しくし、驕りや贅沢を戒め、つつましくすることに努め、仕事に励んで人々の手本となり、国民がその仕事ぶりや生活を気の毒に思うくらいでなければ、政府の命令は行われにくい。
しかし今、維新創業の大事なときだというのに、家を贅沢にし、衣服をきらびやかにし、美しい妾を囲い、金を蓄えることを考えているならば、維新の理想を達成することはできないであろう。
今となっては、戊辰の正義の戦いも、ただ私利私欲を満たすための戦いとなり、世の中の人々に対し、また戦死者に対して面目ないことであると言って、西郷先生は涙を流された。

西郷 隆盛の名言

政治で特に大切なことは、教育文化を盛んにし、軍備を充実させ、農業を奨励するという三つである。
その他のさまざまな事柄は、すべてこの三つのものを実現するための手段である。
この三つのなかで、時勢によって優先順位が変わることもあろうが、この三つのものを後回しにして、それ以外のことを先にするということは、決してあってはならないことだ。

西郷 隆盛の名言

賢人がすべての役人を統轄し、政権が一つの方針に進み、国の体制が一つにまとまらなければ、たとえ有能な人物を登用し、自由に進言できるようにして、多くの人の考えを取り入れるにしても、どれを取捨するのか一定の方針がなくては、行うことは雑でまとまりがなく、とても成功どころではない。
昨日出された政府の命令が、今日には変更になるというようなことも、統轄するところが一つでなく、政治の方針が決まっていないからである。

西郷 隆盛の名言

過去の功績のご褒美として役職につけるのは、善くないことの第一である。
功績のある人には俸給をあたえて賞し、役職はそれにふさわしい人物にあたえよ。

西郷 隆盛の名言

正しい道を踏み、国とともに倒れてもよいというほどの精神がなければ、外国との交際を成し遂げることはできない。
外国の強大なことに恐れをなし縮こまり、ただ円満に事を収めることを主として、自国の真意を曲げてまで、その国のいいなりになるのなら、軽蔑や侮りを受け、親しい交わりがかえって破れ、しまいにはその国に制圧されるに至るであろう。

西郷 隆盛の名言

策略は日常的にすることではない。
はかりごとをめぐらしてやったことは、あとから見ると善くないことがはっきりしていて、必ず後悔するものである。
ただ戦争において策略は必要なことであるが、日常的にはかりごとをやっていると、いざ戦いということになったとき、同じことはできないだろう。
蜀漢の丞相であった諸葛孔明は、日頃策略を用いなかったから、戦いのときに思いもよらないはかりごとを行うことができたのだ。
私はかつて東京を引き揚げたとき、弟(従道)に対して、私はこれまで少しもはかりごとをやったことがないから、跡は少しも濁ることはないだろう。
それだけはよく見ておくようにと言いおいたことがある。

西郷 隆盛の名言

命もいらぬ、名もいらぬ、官位も金もいらぬというような人物は処理に困るものである。
このような手に負えない人物でなければ、困難を共にして、国家の大業を成し遂げることはできない。
しかし、このような人物は普通の人の眼では見抜くことができぬと言われるので、それでは孟子が「仁という広い家に住み、礼という正しい位置に立ち、義という大道を歩む。
もし、志を得て用いられたら民と共にその道を行い、志を得ないで用いられなければ、独りでその道を実践する。
そういう人は、どんな富や身分もこれを汚すことはできないし、貧しく身分が低いことによって心がくじけることもない。
力をもってもこれを屈服させることはできない」と言っていますが、このような人物がいま仰せられたような人物のことでしょうかと尋ねると、その通りだ、真に道を行う人でなければ、そのような姿にはならないものだと答えられた。

西郷 隆盛の名言

もうここらでよか。

西郷 隆盛の名言


これまでに紹介した西郷 隆盛さんの名言です。

(浜本 哲治)

西郷隆盛の生誕地付近(鹿児島市加治屋町)Wikipediaより
西郷隆盛の生誕地付近(鹿児島市加治屋町)Wikipediaより

LINEで送る