アルベルト・シュバイツァーの名言 Albert Schweitzer

アルベルト・シュバイツァー(Albert Schweitzer)Wikipediaより

あなたがたの運命がどうなるかわからないが、ひとつだけわかっていることがある。
あなたがたの中で幸せになれるのは、どうしたら人類に奉仕できるかを模索し、ついにそれを発見した人々だけである。

アルベルト・シュバイツァー Albert Schweitzer

ドイツの哲学者 医者 神学者 ノーベル平和賞受賞 1875~1965
Wikipedia(日本語)/ Wikipedia(英語)


人は誰しも幸せになりたいと希求しています。
そして人間が幸せを感じられるのは、誰かを喜ばせ、幸せを届けることに尽きます。
人間は決して一人では生きていけません。

食べていくことも、自然や誰かの幸せのために貢献できて初めて出来ることですね。

時に自らの幸せを求めるあまりに独りよがりになってしまうことがあります。

与えられることを、幸せになることを求めるばかりになってしまうようになると、幸せが遠ざかるばかりか苦悩が始まっていきますね。

自然と人間の関係も今まさにそんな感じでしょう。

自然に愛を届けることなく、奪うこと、求めることだけになってしまっていることが人間界の苦悩の大きな要因です。

人間界の中でも与えられることだけを、自分だけが幸せになることを求め、行動することで、どれほどの争いや苦悩が生まれているでしょう。

幸せは一人の人であっても多くの人であっても、その人たちに感動や幸せを届けることで、あなたにも幸せが与えられるものです。

もし今苦悩を抱えていたり、不幸せと感じているとしたら、どれだけあなたが幸せを届けられているか?ということを感じてみるといいでしょう。

アスリートたちも自分の才能を磨き、多くの人に感動を届けることで自分の幸せを感じることになります。

もちろんメダルを獲ることを目指してチャレンジしているのですが、メダルを獲ったこと自体よりも、彼らが人生の幸せを感じるのは、感動を届けた人たちから幸せやチャンスを与えられることですね。

あなたが幸せになりたければ、誰かに最高の幸せを届けることです。
多くの幸せを感じたければ、多くの人に幸せと感動を届けることです。

そのためにあなたの心と向き合い、あなたの才能を磨いていくことですね。

才能を磨くことだけで、あなたが本当の幸せを感じることはないでしょう。

その才能を誰かの心に届けて初めて幸せを感じられるものです。

与えられれば、与える。というスタンスでは永遠に幸せが訪れることはありません。

これは分かりやすい端的な例として、報酬や給料をもらえれば働くという発想と同じです。

例えば、幸せを与えてくれたら金メダルを獲る。という発想のアスリートが仮にいたとして、まず与えられることも獲れることもないでしょう。

知らず知らずの言動の中で、こういう発想になっている人は意外にも多いものです。
幸せを感じられない、苦悩や病を抱え込んでるケースに非常に多いですね。

与えたものに与えられる。
これも大きな自然の摂理のひとつです。

どうぞあなたの才能で感動を与え続けてください。幸せを届け尽くしてください。

自然にあなたも大きな幸せに包まれていますよ。

アルベルト・シュバイツァーさんのこんな名言もありました。

あらゆる価値ある働きは、信仰にもとづいた行為である。

アルベルト・シュバイツァーの名言

楽観主義者は、どこでも青信号を見る人のこと。
悲観主義者とは、赤信号しか見えない人のこと。
本当に賢い人は色盲です。

アルベルト・シュバイツァーの名言

何か素晴らしいことをしなさい。
人々はそれを見習うかもしれないから。

アルベルト・シュバイツァーの名言

真実には特定の時などない。
真実はどんな時代にも真実である。

アルベルト・シュバイツァーの名言

平和が来るか来ないかということは、個々人の心の持ちようの中に、また諸国民の心の持ちようの中に作り上げられるものにかかっている。

アルベルト・シュバイツァーの名言

人生の目的は奉仕であり、慈悲と他者を助ける強い意志を示すことである。

アルベルト・シュバイツァーの名言

力のある者は決して騒がない。
力のある者ほど無言のまま働きかける。
真の道徳は言葉の終わったところから始まる。

アルベルト・シュバイツァーの名言

人生の悲劇は、生きていながら内部では死んでいることだ。

アルベルト・シュバイツァーの名言


これまでに紹介したアルベルト・シュバイツァーさんの名言です。

(浜本 哲治)

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