坪内 逍遙の名言 Shoyo Tsubouchi
知識を与うるよりも感銘を与えよ。
感銘せしむるよりも実践せしめよ。
坪内 逍遙 Shoyo Tsubouchi
明治の小説家 評論家 1859~1935
Wikipedia(日本語)/ Wikipedia(英語)
これは坪内逍遙さんの「文芸と教育」という著書の中の言葉のようですから、教育の観点からの言葉でしょう。
ただ単に子どもに対する教育だけでなく、あなた自身に対しても、そしてあなたの天賦の才である天才や、天才が生み出したものを誰かに届ける時にも当てはまることでしょうね。
知識や情報などを得たり、与えるだけでは、あまり役に立つことはないでしょう。
それはすぐに忘れ去られて、せっかくの情報が活かされることは少なくなってしまいます。
これがその知識や情報などの背景や、なぜそうなっているのかというような部分を掘り下げたり、実践を見たり、して見せたりして知識などを得たり与えたりすることで理解も深くなりますし、記憶にも残りやすく、感動、感銘を受けることになります。
もちろん自分自身でも、伝える誰かも興味と関心がなければ、そこまで到達しませんから、興味を持っていることや、関心を持っている人を探したり、心に届くように、琴線に触れるように工夫していくことは必要ですね。
そしてさらにその先の行動を起こして、起こさせて、その知識や情報などを実際に活用するところまで至って初めて、得た、伝えた意味が出てきます。
植物たちも、例えば結実のために見事なまでの工夫がなされています。
花の美しさもそのひとつでしょう。
人間のような言葉を使ったり動くことは出来ませんが、犬の嗅覚が人間とは比にならないほど優れているように、人間の五感を遥かに超えた、生き物たちとの交流の手段があるのでしょう。
そういう子たちに感銘を与え、行動を起こさせることに心血を注いでいます。
そして今の、これからの人間界の情報が溢れ、隠すことの出来ない世界では、情報と実態が乖離していないことも、行動に起こすまでに結びつく非常に大切な要因になるでしょう。
自然界では当たり前のことですが、これまでの人間界では情報に振り回されていましたからね。
あなたの天才や夢を本質に向けて出来るだけシンプルに磨き込んでいって、花に誘われた蜂たちが幸せになるように、活用したり関わった人が幸せを感じられるものにして、思わずその美しさに触れてしまうほどの、花のように形や音、香り、味、継続することや繰り返すことを美しく研ぎ澄ましていってください。
本物に向けて磨いていくことですね。
坪内 逍遥さんのこんな名言もありました。
只管(ひたすら)人の心目を娯(たのし)ましめてその妙神(しん)に入らんことをその「目的」とはなすべき筈なり。
坪内 逍遥の名言
人情とはいかなるものをいふや。
曰く、人情とは人間の情慾にて、所謂百八煩悩是れなり。
坪内 逍遥の名言
人情を灼然(しゃくぜん)として見えしむるを我が小説家の務めとはするなり。
坪内 逍遥の名言
人間という動物には、外に現る外部の行為と内に蔵れたる思想と、二条の現象あるべき筈たり。
坪内 逍遥の名言
詩歌・戯曲(じょうるり)を活動し、且つ音楽を活用し、其妙技をしも奏すればなり。
坪内 逍遥の名言
子ゆえに迷い、子ゆえに悟る。
坪内 逍遥の名言
禁欲主義というやつは矛盾を秘めた教えで、いわば生きていながら生きるなと命ずるようなものである。
坪内 逍遥の名言
入りやすくして、至り難いのが文学の研究である。
坪内 逍遥の名言
これまでに紹介した坪内 逍遥さんの名言です。
(浜本 哲治)
初期東京専門学校の学生と教員(前列右から坪内逍遥、天野為之、高田早苗)Wikipediaより