和辻 哲郎の名言 Tetsuro Watsuji
「観る」とはすでに一定しているものを映すことではない。
無限に新しいものを見いだして行くことである。
だから観ることは直ちに創造に連なる。
しかし、そのためにはまず純粋に観る立場に立ち得なくてはならない。
和辻 哲郎 Tetsuro Watsuji
哲学者 倫理学者 1889~1960
Wikipedia(日本語)/ Wikipedia(英語)
『見る』ではなく『観る』こと。
言葉としては『みる』対象に明確な目的や意図を持って、みているかどうかの違いになりますが、特に目の前で起こることには必ず意味がありますから、単に見るだけでなく、よく観ることですね。
その出来事の真意は何かや、なぜそれが起こったのかを思考や感性をフル活用して感じることがとても大切なことでしょう。
芸術やスポーツ、本物と言われるものなどの、エネルギーレベルの高いものに触れてエネルギーのチューニングをしてもらうことも、エネルギーを乱されがちな現代では重要なことです。
そしてそういうものは単にエネルギーのチューニングだけにしてしまっては、とてももったいないことですね。
まさに『見る』だけでなく『観る』ことです。
あなたの夢へのチャレンジ、才能の進化を目指している中でテーマがありますから、そのテーマに対するヒントを得ることも出来るでしょう。
またどんな分野であっても成功する原理原則は共通していますから、あらゆる分野の本物からその原理原則を見出すことが出来ます。
純粋に観ていくには、先入観を持たずに感じることから入っていくことでしょうね。
そして純粋に観ること、そこから何かを見出す、感じとる感性を養うのは自然に触れ、観察することが最適の養成でしょう。
どんな分野であっても成功の原理原則は自然の摂理と言ってもいいでしょう。
どんなに高度なことでもシンプルな真理に支えられています。
決してテクニックだけでは本物は醸し出せません。
それを最も分かりやすくシンプルに実践しているのが自然です。
人間界では複雑に表面的なことが横行していますので分かりづらくなっていますが、どうぞ自然の植物たちから、本物に磨き上げていくためにどうしても必要な真理を学んでください。
そして観る目を養ってもらってください。
観る目が育ってくると可能性は無限に見えてきます。
原理原則に裏付けされたあなたの才能は必ず本物の輝きを放ってきますよ。
和辻 哲郎さんのこんな名言もありました。
我々は花を散らす風において歓びあるいは傷むところの我々自身を見いだすごとく、ひでりのころに樹木を直射する日光において心萎(な)える我々自身を了解する。
すなわち我々は「風土」において我々自身を、間柄としての我々自身を、見いだすのである。
和辻 哲郎の名言
自然が暴威をふるわないところでは、自然は合理的な姿に己を現してくる。
和辻 哲郎の名言
日本人は『家』を『うち』として把握している。
家の外の世間は『そと』である。
和辻 哲郎の名言
ギリシャ人が見ることにおいて感じたのに対して、日本人が感ずることにおいて見たという相違は見逃すわけにはいかない。
和辻 哲郎の名言
資本主義が進展すると共に、手段としての財力が強くなり、人間のほうが財の手段となり、人間が機械の奴隷にされるという傾向が生じてくる。
和辻 哲郎の名言
教養は培養である。
それが有効であるためには、まず生活の大地に食い入ろうとする根がなくてはならない。
和辻 哲郎の名言
人間とは「世の中」自身であるとともに、また世の中における「人」である。
和辻 哲郎の名言
私はどんなに失望している時でも、やはり心の底の底で自分を信じているようです。
和辻 哲郎の名言
これまでに紹介した和辻 哲郎さんの名言です。
(浜本 哲治)
文化勲章授与式、後列右側が和辻哲郎 Wikipediaより