チャールズ・ダーウィンの名言 Charles Robert Darwin

チャールズ・ダーウィン(Charles Robert Darwin)Wikipediaより

自然淘汰とは、有用でさえあれば、いかに微細なものでも保存される原理である。

チャールズ・ダーウィン Charles Robert Darwin

イギリスの自然科学者 地質学者 生物学者 1809〜1882
Wikipedia(日本語)/ Wikipedia(英語)


「自然淘汰」という言葉からどういうイメージをしますか?

弱肉強食、生存競争などの言葉とともに、強いもの、大きいものが勝ち、弱いもの、小さいものは負けるというような使い方をされているような気がします。

自然の植物たちを見ていると、自然淘汰は悲壮感で行なわれるのではなく、歓びと希望に満ちた感覚で行なわれているようですね。

大きい、小さい、強い、弱いは関係ないんです。

自分が自分らしくいることが、誰かひとりのためだけにでも役立っていれば、自然に必要とされる存在である。ということですね。

人間界も自然界の一部ですから何も心配することはありません。

自分らしさ、自分にしか出来ないことに磨きをかけていれば、必ず必要とされて誰かに、周りに生かされて輝かせてもらえることになります。

周りのことは気にせずに、ただただ自分の心と向き合い感性を磨くことです。

多くの人の心を動かしたものは、いつまでも心に感動を残してきたものは、考えたことではなく感じたものであることは、歴史や芸術を見てみると分かりますね。

自然淘汰をもう少し違う観点から見てみると。

今は自然の中で、人間がどう自分たちの存在を認識するか、どういう行動を起こしていくのかが問われるタイミングであるような気がしています。

どんなに人間が考え、科学、技術を進化させようと、どこまでいっても自然を支配することなんて出来ません。

自分たちが快適に暮らそうとしてきたことで、逆に心や身体の病は増える一方で、奪い合い、競い合うだけの住みづらい世の中になっていますね。

このまま突き進んでいくことが、自然の摂理に沿った方向だとは到底思えません。
もし自然の中で必要とされない暴挙を繰り返していると、そこにはまさに自然淘汰が待っているのでしょう。

ここ数十年は、過去の何倍、何十倍も速く、驚くほどの勢いで自然の破壊は進んでいます。
まさに私たちが暮らしてきたこの年月ですね。

もしかしたら私たちが生きている間は、まあ今のままで行けるのかもしれませんが、百年後の子孫たちに、このまま突き進んだ結果を残すことがいいとは思えないです。

今さえ良ければいい。自分さえ良ければいい。では未来への責任は果たせません。

自然はすべてを教えてくれていると思います。
余裕がないから、自分の生活で精一杯だから自然の声を聴く余裕がありませんか?

人間が自然に淘汰されてしまっては、仕事どころか生活もままなりません。

人類が自然に淘汰される存在にならないように、真剣に願っていますが、その選択肢を選ぶのは今を生きる私たちですね。

自然に学び、自然と共に生きる。
自然の声を聴くことは今すぐにでも出来ることです。

小さな自然を守っていくように行動を変えることも、すぐに出来ることです。

淘汰されない人類の未来をどう創っていきますか?

チャールズ・ダーウィンさんのこんな名言もありました。

この理論が受け入れられるのには、種の進化と同じだけの時間がかかりそうだ。

チャールズ・ダーウィンさんの名言

私はできるだけ一生懸命に、できるだけよくやったのだ。
誰もこれ以上にはできない。

チャールズ・ダーウィンさんの名言

私は名声を得るために、自分の道から1インチたりとも外れたことはなかった。

チャールズ・ダーウィンさんの名言

無知というのは、しばしば知識よりも確信に満ちている。
科学によってこれやあれやの問題を解決することは、絶対にできないと主張するのはきまって知識がない人である。

チャールズ・ダーウィンさんの名言

有利な個々の変異を保存し、不利な変異を絶滅すること。
これが自然淘汰である。

チャールズ・ダーウィンさんの名言


これまでに紹介したチャールズ・ダーウィンさんの名言です。

(浜本 哲治)

チャールズ・ダーウィンの署名 Wikipediaより
チャールズ・ダーウィンの署名 Wikipediaより

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