芥川 龍之介の名言 Ryunosuke Akutagawa
自由は山巓(さんてん)の空気に似ている。
どちらも弱い者には堪えることができない。
芥川 龍之介 Ryunosuke Akutagawa
小説家 1892〜1927
Wikipedia(日本語)/ Wikipedia(英語)
山巓は、山の頂上の意味です。
空気が薄くなる山頂は身体的に負担がかかりますので、平地では何でもなくても山に登ると体調を崩したりします。
私たちは先人の血のにじむ努力のおかげで、肉体的、精神的、物理的な束縛からは自由になっていますが、もっと違うものに囚われて、もしかしたらその当時より不自由に生きているのかもしれません。
特に日本人は「自由にしていいんだよ!」と言われると途端に、どうしていいのか戸惑ってしまいます。
自由でありながら自由に生きられない。
もちろん社会環境の影響もあるでしょう。
しかし間違いなく私たちは自由です。
もし自由に生きられないことを社会や環境のせいにしているのだとすると、それは自信のなさの現れでしょう。
自由に生きていける自信がないから、本来何をしても自由なはずなのに、自分らしく生きることを放棄してしまっているのでしょう。
これだけ自由な世の中を先人たちが多くの血を流して創り上げてくれたのに、この社会に文句や愚痴を言っては先人に申し訳ないですね。
もしかしたら不自由に生きていることすらも感じていない人が多いのかもしれません。
そして自由に生きることがいちばん厳しい生き方でしょう。
自分らしさを放棄しても、変な苦悩やストレスを我慢さえしていれば、そこそこに生きていくことが出来ますからね。
ただこの自由な世の中を創造してくれた先人たちに感謝する気持ちがあるのだとしたら、やはり自分らしく生きて、自分の与えられた天才を最大限に磨き込んで、世のため人のためにその天賦の才である天才を活かすことが最大の恩返しでしょう。
また誰かを自由にすることを懸念する心もありますが、これも弱さの現れそのものでしょう。
自由にさせてあげることは甘やかすことと考えるのは、そもそも完全に自由にしていない証拠です。
自由にしていいよ。と言いながら、何か自分にとって、その人にとって良くないことが起こりそうになるとすぐに手を出してしまいます。
甘やかすと言うのは完全に自由を尊重しないその心です。
自由にして誰かに迷惑をかけたら、痛い思いをするのはその人自身です。
成果が出なければ、辛い思いをするのは紛れもなくその人自身です。
そういう体験も含めて自由ですね。
何かがあれば、誰かが助けてくれる。と思う心を持たせることは、本当の自由を与えていることにはなりません。
自由を与えなくても、親でありリーダーであるならば、すべての責任は負わなければなりませんが、自由を許すということは、それを許した親やリーダーにも見守るだけしか出来ませんから相当の強さが必要になります。
もちろん結果はすべて受け入れなければなりません。
その覚悟がないと本当の自由を許すことは出来ません。
自由に生きるのが、させるのが怖い。
実のところ自由に生きられないのはそこに尽きるのでしょう。
しかしあなたがあなたらしく生きていくためには、どうしても自由の洗礼を受けなければ、あなたの天才が開花することはないでしょう。
人間界の常識や社会の通念や、そこから発生する他人の目はことごとくあなたの自由を拘束しています。
そして何よりも、あなた自身の心がそういう見えないものにがんじがらめになっているでしょう。
やりたいことをやりたいようにして生きていくことは、決して安易な道、楽な道を選ぶことではありません。
だからこそあなたの心に巣食う恐怖を振り払って、束縛から心を開放して自由に生きることにチャレンジしなければ、いつまで経っても良い世の中にはなっていきません。
あなたがあなたの天才を発揮することは、あなた自身のためだけではありません。
まさに世界を変える生き方をすることそのものです。
物理的な自由の次は、心の自由、自分らしく生きる自由。
こういう生き方を、今の私たちの世代が次世代のためにも創造すべき世の中ですね。
どうぞ自由に生きることを諦めないでください。
芥川 龍之介さんのこんな名言もありました。
古人は神の前に懺悔した。
今人は社会の前に懺悔している。
芥川 龍之介の名言
道徳は常に古着である。
芥川 龍之介の名言
軍人の誇りとするものは、小児の玩具に似ている。
なぜ軍人は酒にも酔わずに、勲章を下げて歩かれるのであろう。
芥川 龍之介の名言
懐疑主義者もひとつの信念の上に、疑うことを疑わぬという信念の上に立つものである。
芥川 龍之介の名言
女は常に好人物を夫に持ちたがるものではない。
しかし男は好人物を常に友だちに持ちたがるものである。
芥川 龍之介の名言
これまでに紹介した芥川 龍之介さんの名言です。
(浜本 哲治)
東京帝国大学を卒業する1916年(大正5年)頃の第4次『新思潮』のメンバー。右から2番目が芥川龍之介、一番右は成瀬正一、一番左から久米正雄、松岡譲。Wikipediaより