5代目 古今亭 志ん生の名言 Shinsyo Kokontei 5th
落語を面白くするには、面白くしようとしないことだ。
5代目 古今亭 志ん生 Shinsyo Kokontei 5th
落語家 1890~1973
これはどの世界の第一人者の方も異口同音に言われていることですね。
やはり落語家の10代目 柳家小三治さんは、
笑わせるもんじゃない。
つい笑ってしまうもの。
これが芸だと思うんですね。
という表現をなさっています。
ひとつには、芸、技術などを磨き込んでいく際に、どうしても何かを付け加えることで、そのレベルや見栄えを上げようとしがちですが、これは極めようとしていく場合には逆方向でしょう。
シンプルを目指して、シンプルなものをどれだけ深く掘り下げていけるか。
アスリートのパファーマンスも同じです。
ひとつの技術に、何かを上乗せしようと追求していくことは、結局は強い、美しい方向には向かっていきません。
どれだけ余分なものを削ぎ落として、残ったものの精度、強度を高められるか。
そしてその極限までシンプルにしたものを、自分の骨格などに合わせて独自のものとして表現していくか。
シンプルを目指していくと同じ原理に辿り着くのですが、その原理を表現する人によってその独自性が生まれて来ます。
シンプルを目指していくと誰でも同じものになりそうですが、そうではありません。
本当の独自性は、何かを付け足すのではなく究極にシンプルにしたものを、あなたが表現するからこそ生まれてくるものです。
また本番などの表現の場でも、自分のパフォーマンスを良く見せよう、美しく魅せよう、面白くしようと思考が働くほどに、その状態からは遠ざかっていくものです。
例えばラグビーなどのぶつかり合う場面でも、一見、力と力のぶつかり合いですから力を入れられた方が強いと思われがちですが、これは全く逆です。
ぶつかる瞬間にどれだけ余分な力を抜けるか、これで相手に伝わる力が大きくなるんです。
これは陸上アスリートが速く走るためには、いかにリラックス出来るかが勝負と言われるのと同じですね。
自分の持てる力を最大限、地面に伝えるためには余分な力を抜くこと。
相手がぶつかり合う人でも同じことなのですが、どうしても力を込めてしまうのは、多くのアスリートでも勘違いしていたり、その域に達せていないケースですね。
これもどんな分野でも同じでしょう。
持てる力のレベルを、日々のトレーニングで高めることはもちろん必要なことですが、その持てる力を最大限に、また持てる力以上に発揮しようとするには、力を込めたり、意識したり思考を働かせないことです。
「自然体」とよく言われますが、この力を抜く、意識、思考を手放して、持てる能力、能力以上のものを発揮できる感覚を体得していくことは非常に大切なことです。
どうぞ日々のトレーニングはどこまでもシンプルな方向に向けて追求していって、パフォーマンスには力を込めることや意識、思考を手放していく。
この一流と超一流を分ける体得すべき原理を身に付けてください。
古今亭 志ん生さんのこんな名言もありました。
他人の芸を見て、あいつは下手だなと思ったら、そいつは自分と同じくらい。
同じくらいだなと思ったら、かなり上。
うまいなあと感じたら、とてつもなく先へ行っているもんだ。
寄席は学校じゃねぇんだ。間違えたって、直したりしちゃいけねぇ。
そのまま通しちまうんだ。
貧乏に苦しみながら、今になんとかしてやると希望を持って生きていくところに、また言うに言われぬ面白みがあるもんですよ。
これまでに紹介した5代目 古今亭 志ん生さんの名言です。
(浜本哲治)