西田 幾多郎の名言 Kitaro Nishida
花が花の本性を現じたる時、最も美なるが如く、人間が人間の本性を現じたる時は、美の頂点に達するものである。
西田 幾多郎 Kitaro Nishida
哲学者 京都大学名誉教授 1870~1945
Wikipedia(日本語)/ Wikipedia(英語)
花にはそれぞれに咲かせられる花があり。
その花を一途に懸命に咲かせていきます。
他の花と比べてどうかと比較することも、逡巡することもありません。
常にその環境の中で自分らしい花を堂々と咲かせます。
迷いのない純粋な一途さが、あの感動的な美しさの源です。
人間もまさにこの言葉通り同じですね。
人間は与えられた素晴らしい機能を持った、脳の思考のおかげで迷いも多いものですが、自分に与えられた天賦の才や使命、天職に関してや、自分に咲かせられる花がどんな花なのかは、あまり考え込んで思考を巡らせても答えは見つからないかもしれません。
それぞれは本来心が知っていますが、最も簡単に確実に知る方法は、縁のあった目の前のことや、心が感じたことを極める域を目指してチャレンジすることです。
何れにしても花を咲かせるには、極めようと目指していくことでしか最高の花は咲かせられません。
薄く広く手を広げても本物は見えてきませんし、一見あれこれ探してみることが自分の花を見つけやすいように感じるかもしれませんが、本物と最短で出会い、高いレベルでの出会いを果たし、運命を大きく動かしていくのはひとつのことを深く追求していくことです。
咲かせられない花はその過程で分かってきます。
運命の出会いとともに自然が教えてくれます。
どうぞチャレンジする前にあまり深く考えることなく、一途にチャレンジの行動をまず起こしてください。
チャレンジの先にあなたが最高に美しく輝ける花は必ず見えてきます。
あなた自身が思いもしなかったものが、あなたの花だという可能性もありますよ。
西田 幾多郎さんのこんな名言も遺されています。
人は人吾(われ)はわれ也とにかくに吾行く道を吾は行くなり
西田 幾多郎の名言
夢の実現も、志のどこまで辿り着けるかも、能力をどこまで磨き込めるかも、究極的にはこの境地が目指すところですね。
他にも西田 幾多郎さんのこんな名言がありました。
善を学問的に説明すれば色々の説明はできるが、実地上真の善とはただ一つあるのみである、即ち真の自己を知るというに尽きて居る。
西田 幾多郎の名言
知識においての真理は直に実践上の真理であり、実践上の真理は直に知識においての真理でなければならぬ。
西田 幾多郎の名言
元来愛とは統一を求むるの情である、自己統一の要求が自愛であり、自他統一の要求が他愛である。
西田 幾多郎の名言
ここにおいて善の概念は美の概念と近接してくる。
美とは物が理想の如くに実現する場合に感ぜらるるのである。
西田 幾多郎の名言
善とは一言にていえば人格の実現である。
西田 幾多郎の名言
これまでに紹介した西田 幾多郎さんの名言です。
(浜本 哲治)
哲学の道(春)Wikipediaより