オーギュスト・ロダンの名言 François-Auguste-René Rodin
経験を賢く生かすならば、何事も無駄ではない。
オーギュスト・ロダン François-Auguste-René Rodin
フランスの彫刻家 1840~1917
Wikipedia(日本語)/ Wikipedia(英語)
私たちが経験することは、どんなことであれ意味のあることです。
そして一切の無駄はありません。
ただ経験をするだけでは、あまりその意味はありません。
そこから何を学び、どう活かしたか。
ここまで昇華させてはじめて経験が意味を帯びてくるものです。
さらに言えば、経験から学ぶことを自然の摂理に照らしてみることまで掘り下げていかないと、その経験の本当の意味は感じられないでしょう。
これからはますます自然の摂理に反することは、実現する可能性が低くなっていきます。
上手くいったこと、上手くいかなかったこと。
その本当の要因はどこにあるのか。
もちろん最大のチャレンジをしなければ結果は上手くいかない。というような単純な原理もありますが、奇跡的に上手くいったことや、最善のチャレンジを尽くしても上手くいかないこと、突然のように起こること、一見意味のなさそうなことや、明らかに人為的に見えることなど、様々な出来事が起こってきます。
これらにはすべて意味があります。
大前提の自然の摂理は、私たちはひとりひとりに天命、この世に生を受けて果たすべき使命があり、運命によって天命に導かれていくということでしょう。
これは、自然の木々や草花を見ていると間違いないことが分かります。
どれひとつとして同じ木や花の姿はなく、それぞれに自分の最高の花を咲かせることで循環し成長していきます。
天命を果たすために、それぞれにその人だけの花である天賦の才、天才を与えられています。
この天命、天才に気づき、そこに向かうために運命があることを実感できるようになると、日々の出来事にはほぼ説明がつくようになります。
もし天命や天才を感じられていなくても、目の前で起こることの根底にある自然の摂理を探っていくことで、天命や天才も感じられるようになります。
天命、天才の発掘のひとつの方法ですね。
もちろん目の前のことに精一杯チャレンジしていないと、その結果も中途半端なものになりますから、その根底に流れる自然摂理を感じることは難しくなってきます。
天命、天才も頭の中で考えているだけでは、なかなか見つけるのは困難でしょう。
経験は数が多ければいいというものではありません。
その経験から真理や自然の摂理を学び、感じることによってのみ、経験をした価値が出て来るものです。
どうぞひとつひとつの出来事を、今起こってることはもちろんのこと、過去を振り返ってでもいいでしょう、その出来事の根底にある、自然の摂理を感じるまでに掘り下げていってください。
色んな素晴らしい発見がありますよ。
「何事にも無駄はない!」
と言っているだけでは何も見えてきません。
この言葉の多くは、起こった出来事を無理矢理自分に納得させようとして使われてることが多いですからね。
オーギュスト・ロダンさんのこんな名言もありました。
彫刻は凹凸の術である。
オーギュスト・ロダンの名言
芸術作品はすでに大理石の塊の中にある。
わたしはただ必要のないものを切り落とすだけなのです。
オーギュスト・ロダンの名言
すべての偉大な画家はみな空間を探ります。
厚みの観念の中にこそ彼らの力は宿るのです。
オーギュスト・ロダンの名言
美しさの極致は一人の女にだけあるのではない。
すべての女にある。
彼女たちはそれを知らないが、皆がこの美に到達するのだ。
ちょうど果実が熟するように。
オーギュスト・ロダンの名言
自分が何かをやることさえ確かだったら、少しぐらい待っても何でもない。
オーギュスト・ロダンの名言
これまでに紹介したオーギュスト・ロダンさんの名言です。
(浜本 哲治)
『地獄の門』(国立西洋美術館)Wikipediaより