ラルフ・ワルド・エマーソンの名言 Ralph Waldo Emerson
愚痴はどんなに高尚な内容でも、また、いかなる理由であっても決して役には立たない。
ラルフ・ワルド・エマーソン Ralph Waldo Emerson
アメリカの思想家 哲学者 作家 詩人 1803~1882
Wikipedia(日本語)/ Wikipedia(英語)
人間は本当に愚痴の多い生き物ですね。
愚痴と意識しているもの、意識していないもの、自分に対するもの、人に対してのものなどなどを合わせると、一日の多くの時間を愚痴に割いているでしょう。
いちばん質のよくない愚痴は、反省会、反省文、分析などと称して、わざわざ時間を割いて愚痴と言い訳のオンパレードを組織や自分自身に対して催すことですね。
好機をつかんだり、決断は即決出来ないようでは、そのチャレンジや物事が上手くいかないように、本来あなたの天賦の才や仕事について、日頃から深く追求していれば、あらゆることを想定しているはずですし、想定外のことが起こったとしてもチャンスやトラブルには即断即決できるはずです。
それが出来ないようでは追求が足りないということです。
即断できないことは、いくら時間をかけても良い決断は出来るものではありません。
これと同じように、失敗やミスは起こった瞬間に感じ、反省していますから、それをあえて時間を割いてまでいつまでもフォーカスしてはいけません。
またそれが起こった瞬間に感じられていないようでは日頃の学びが足りない証拠ですね。
そしてミスを起こさない、失敗をしないような個人や組織は大きく成長、進化することはないでしょう。
上手くいくことは10のチャレンジをして2つあれば良い方です。
どんどん上手くいかないことを露にしていけば上手くいくことに早く辿り着けます。
組織などでは注意を促す意味も込めて訓示をしたりしますが、人間は言葉に頼ろうとしますが、言葉はどんなに尽くしても、その真意を相手や全員が汲み取ることなど不可能なことです。
人間は元来感じる生き物ですから、言葉の意味より言葉に乗せられた心を敏感にキャッチするものです。
ひとりの人間であれば、失敗やミスは即座に判断、学習できています。
組織の中であれば、それに関連する人たちが立ち話で意思疎通するだけ充分です。
もし話し合いをするのであれば、次に向けての計画や準備をする中で、その失敗などを落とし込んでいけばいいですね。
個人でも組織でも愚痴だとは思われていない愚痴が本当に多く、責めたり反省を求めるような言葉は間違いなく愚痴の一種ですね。
叱ることと、怒ることの大きな違いは言葉や行動に乗った思いです。
怒りの感情はもとより、反省を求める思いを乗せているものも、叱っているのではなく怒っていると思ってください。
愛、愛情だけが乗った厳しい言葉が叱るということです。
怒ることも間違いなく愚痴ですね。
自然の植物たちは愚痴は一切ありません。
彼らは愚痴などこぼそうものなら、すぐに命の危険に晒されてしまいます。
常に瞬間的に学習して次に活かしていくことの繰り返しです。
決して悠長に愚痴祭りなんてしません。
愚痴る時間がないからこそ、あの美しい花、美味しい実を私たちに恵んでくれるのですね。
あなたの美しい花を咲かせようとするならば、とにかく愚痴の時間を減らすことです。
どうぞ無意識な愚痴も見つけてください。
愚痴の心を持つだけでも、そしてれを口にしてしまうと間違いなくあなたの心は負のエネルギーで充満していきます。
無意識の愚痴が多いということは、あなたが知らない間にあなたが放出するエネルギーで、あなたや周りの波動を乱していることになります。
どんな高尚な愚痴も役に立つものはない。
大切な真理ですね。
愚痴の心、言葉が減るだけで心が開放されて運命が動き出します。
全くエネルギーが変わりますからね。
ラルフ・ワルド・エマーソンさんのこんな名言もありました。
金を払う相手は先生だが、実際に私の息子を教育してくれたのは生徒たちだ。
ラルフ・ワルド・エマーソンの名言
一粒の木の実は、いくつもの森を生む。
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この世で幸福以上の何かを求める人は、幸福の分け前にあずからなくとも、不平を言ってはならない。
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偉大であるということは、誤解されるということだ。
ラルフ・ワルド・エマーソンの名言
自分自身を最大限に利用しなさい。
あなたにとって、あるのはそれだけなのですから。
ラルフ・ワルド・エマーソンの名言
これまでに紹介したラルフ・ワルド・エマーソンさんの名言です。
(浜本 哲治)
エマーソンの墓の拡大図 Wikipediaより