ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの名言 Johann Wolfgang von Goethe

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe)Wikipediaより

ある人が覚悟を決める前には、躊躇がある。
つまり腰を引いてしまうことがある。
最初にとりかかる行動のすべてに関して、本質的な事実がひとつある。
これを無視すれば、無数のアイデアやすばらしい企画の息の根が止まってしまう。
それは、人が必死になるとき、自然の摂理も動くという事実だ。

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ Johann Wolfgang von Goethe

ドイツの詩人 小説家 劇作家 1749~1832


何かにチャレンジしようとする時、勇気が必要になります。

多くは自信のなさや恐怖によって、この一歩を踏み出せずにいますが、勇気を振り絞って踏み出す一歩一歩に、この言葉が当てはまってきますね。

決断の一歩は踏み出せたとしても、未知の領域に足を踏み入れる場合、どうしてもブレーキを踏みながらアクセルを踏み込むような、そういう心の状態で歩みを刻んでしまうことがあります。

これでは成果を期待できません。
自然の摂理が発動しないからです。

自然の摂理は、いたってシンプルです。
「与えたものに、与えられる」
これも自然の摂理のひとつですが、元々自然の中には中途半端が存在しません。

木々や草花の咲かせる花が、私たちをこれほどまでに感動させるのは、出来ることを精一杯やったことの結果ですね。

これをどこかの過程で精一杯やることを怠ったとしたら、もちろん美しさも輝きも与えられないでしょう。

さらに言えば、それが即命にも関わってきますね。

自然は無理することも受け入れてくれません。
花を咲かせられるタイミングでもないのに無理に咲かせようとしても、怠るのと同様に感動を与えられるほどにならないばかりか、やはり存続に関わってきます。

自然は摂理に沿ったことには、本当に驚くほどの力を与えてくれますが、それに外れるとこれはまた厳しいものです。

人間界のように例外はないですからね。

「必死になる」という言葉のイメージから、無理をしてでも。力を込めて。と言うようなことが浮かんできますが、これは違います。

人間の場合力むと最大の能力が発揮されませんから、心にも身体にも無駄な力が入った状態では、それを感じる自然の方から見れば、精一杯やってないのと同じことです。

懸命に努力しているのに成果が現れてこない。
自然の理に叶ったことにチャレンジしていて、こう感じることがあったとすると、精一杯でないか。無理をしているか。余計な力が入っているか。十中八九このどれかに当てはまるでしょう。

ピタリとハマった時の自然の摂理の微笑みは、見事なまでにそのチャレンジに応えてくれます。

自然の摂理を味方に付けると、本当に奇跡的な運命が大きく動き出します。
もちろん立ち止まっていては自然の摂理も発動のしようがありません。
やると決めたら躊躇せず、全力でチャレンジしていきましょう。
素晴らしいことが続々と起こってきますよ。

私たちの目の前で起こっていることは、決して人間の力だけによるものではありません。

これまでに紹介したヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテさんの言葉です。

(浜本哲治)

ローマ近郊におけるゲーテの肖像(1786年/1787年、ヨハン・ハインリヒ・ヴィルヘルム・ティシュバイン画)Wikipediaより
ローマ近郊におけるゲーテの肖像(1786年/1787年、ヨハン・ハインリヒ・ヴィルヘルム・ティシュバイン画)Wikipediaより

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